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はじめての内観体験

はじめて内観を体験して


この一週間、奈良にある研修所に籠もり、内観療法というものを体験していた。

大学時代にたまたまレポートの分担に当たって調べたことがあり、ちょっと興味を持ったことがあったのだが、昨年、たまたま研修所の所長さんに会うことがあったのが、いいきっかけだった。

この内観療法とは日本生まれの心理療法で、国際学会もあり、最近は中国や韓国で脚光を浴びている。

畳の部屋の隅に屏風を立てて、半畳ほどの空間に座布団を敷き、便所と入浴以外の時間は、その中でこれまでの自分を振り返りながら過ごす。

母親、父親、兄弟、祖父母、配偶者、子供、友人など今までの人生の中で自分と関わりのあった人から対象と時代を決めて、子供の頃からさかのぼって、以下の3点を調べていく。

1.お世話になったこと
2.して返したこと
3.迷惑を掛けたこと

養育費の計算をしてみたり、「嘘と盗み」というテーマで掘り下げていくこともある。


一時間半から二時間ごとに一回、写真のように指導者が屏風を開けて、5分ほどの面談を繰り返していく。


自分の内面と向き合うことで、その人の仏性(言葉を変えれば、超自我、自然治癒力など)が引き出されていくという。

それで、心身の病気や症状が治ったり、人間関係が改善されたりという結果につながることもあるという。
犯罪者やアルコール依存症患者の厚生、企業の人材育成にも使われている。

さて、私の場合だが、参加した動機は単なる好奇心。
実際に屏風の中で座っていると、雑念が多く沸き起こり、なかなか思考に集中できず、時にはうたた寝さえしてしまうという不真面目さ。
(雑念の9割は仕事のことだった。)

良くも悪くも身体には変化はなかったが、これはもともと健康だったからだろう。
同室のウツ症状に悩む人に「そんなにいっぱい寝られてうらやましい」と言われるくらいにたっぷり寝ていたくらいだ。

それでも、自分は一人で生きてきたように思っていたけれど、多くの人々に愛情を注がれつつ、迷惑を掛けつつ生きてきたのだということを改めて認識させられた。

本に書いてあったり、他の参加者の話ほどは、あまり劇的な変化は感じられなかったけれど、なかなか贅沢な時間を持てたのではないかと思う。

数十年、同じように自分の内面を見つめる人々が集う場所だけに、ちょっと不思議な夢を見たりもした。
その手の能力が強い人には何かが見えるにちがいない、と少々邪道なことを考えながら、日本家屋の建物を後にした。(スピーチセラピスト・女性)
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内観後の手紙(娘から父へ)

【内観後の手紙】
 
25歳の女性が内観を体験したあと、不仲だった父親に手紙をしたためました。
ご本人の了解を得て、ここに掲載させていただきました。



(娘から父へ)
お父さん、私は、知人に紹介していただき、1週間に渡り、奈良県にある「大和内観研修所」に行ってまいりました。「内観」とは、日本で生まれた心理療法であり、仏教に由来するものと聞いております。「心理療法」というと、鬱病や精神病患者のためのもののように聞こえるかもしれませんが、これは全ての人が心安らかに生きるために創られたものです。その方法としましては、部屋の片隅に座り、畳一枚程の屏風に囲まれ、心を静かにさせ、まず母親に対する自分を調べて行きます。ここで肝心なのは、「母」がどうであったかではなく、「母に対する自分」がどうであったかとういことです。調べるポイントは、以下の3つです:「お世話になったこと」「して返したこと」「ご迷惑をかけたこと」
 これを記憶のある時分から年齢順に調べていき、母が終わると父、祖父母、姉妹、兄弟、叔父、叔母、配偶者、その親、子、友人、勤務先の上司や部下…と言った具合にこれまでの人生に関わった人たちについて調べていきます。そして、約1時間半毎に面接者が屏風の前に来て下さり、その時間に調べたことを報告するといった具合です。ご自分のことを知らない人に言うのは恥ずかしいと思われるかもしれませんが、心配なさらないでください。面接者はありのままをそのまま受け入れてくださるので、仏様に向かって話している気分になってくると思います。
こういったことを朝から晩まで1週間続けて行います。屏風の中でこのようなことを行うと聞くと、自分には出来ないのではないか、と思う方もいらっしゃるようですが、それは安心してください。しばらくすると、ここは唯一の人生の休息場であり、地球上で一番安全で、心地よい場所だと気づかれると思います。
 さて、私もこのようなことを1週間体験させていただき、両親についてそれぞれ2回、叔母さん(母の姉)、そして神様について内観してまいりました。
昔の記憶から辿ってみますと、いかに私がお父さんお母さんから愛され、大切に育てられてきたか、その一端を思い出すことができたように思います。それに対して私は、お二人に何の感謝の意も示さず、あたかも一人で大きくなったかのような顔をして暮らし、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。これまでご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。こんな娘ですが、お二人から頂いた愛情を無駄にせず、そしてそれに恥じないように生きていこうと決意しています。
 この内観を通して思ったのですが、ひとつ私から提案があります。是非お父さんもこの内観を体験してみてはいかがでしょうか。お父さんは毎日一生懸命働いておられ、さらに土曜日まで仕事をしていらっしゃるので、ひとつここで立ち止まり、ご自分の内を観てみてはどうでしょうか。この内観中に、お医者様が内観について語られたテープを聴く機会がありました。そこで仰っていたことは、「多くの人は皆、死ぬ間際になりこれまでのことを思い出し、感謝の気持ちと共に、安らかに死んでゆく。しかし、それでは遅い。死ぬ寸前に気づくのではなく、生きている途中でそれをしなければならない」と。
おそらくこれは、いわゆる「走馬灯のようにこれまでの記憶を思い出す」ということだと思います。内観は、まさにこれを実行する作業です。すると、この世は苦悩ではなく感謝で満ち溢れた天国であると気づくことができるのです。
内観は、カウンセラーがいて考えを誘導してくれるというものではありません。自分で自分の内を観て、実はこの世界は感謝すべきことがこんなにも多い、と「自分で気づく」ことができるのです。自分で気づくことは大変重要なことであります。普段お父さんはご苦労をなさっているので、楽になっていただくために、経験していただきたいと思います。差し出がましいようですが、これを私の親孝行としてお受け取りください。
最後になりましたが、いつも私の就職先や今後について心配をおかけして、申し訳ありません。しかし私は、後悔のない人生を歩むために、常に自分の内なる声をよく聴き、確信を持って一歩ずつ前に進んでおり、その場その場から常に学び、積み重ねの上に今立っています。おそらく他人様から見たら不安定な人生を送っているように見えるかもしれませんが、私は誰よりも安定した人生を歩んでいると自負しております。何故なら、常に自分の声を頼りにし、自分の心の最も清い真我の自分を見て、考え、選択をし、行動に移しているからです。ですので、絶対的に安心と信頼のある人生になると、何よりも自分自身が絶対的に信じています。しかし、その道中でおそらくこれまでのようにお父さんとお母さんに多大な迷惑をかけていくかもしれませんが、暖かく安心して見守っていただければ幸いです。
 長々と読んでいただきありがとうございました。お父さんの健康と幸せをお祈り申し上げます。A子より。

体験発表

【体験発表】

暗闇からひとつの光明・内観に思う


 内観歴はまだまだひよっこ。8ヶ月。集中内観後、日常内観を継続する理由じゃなく、ただM先生と話がしたいために月2回のカウンセリングを受けている。カウンセリングでお話させていただくことも雑多。私が思う世界観を曼荼羅で描いてみたり。気に入った歌の歌詞を披露してみたり。自分でも分けわかんないこと言っていると思うけど、そんなことおくびにも出さず傾聴してくださる。それがとてつもなくありがたい。私は自分の感情を素直に人に伝えることが苦手だ。私のことを知っている人は、おしゃべりな私を見て「うそ」と思うかもしれないけど、実際苦手なのだ。幼少期はアダルトチルドレンとして過ごした。両親の夫婦仲は悪く父親が母親に罵詈雑言や暴力を振るっているのを目の当たりにした。ビール瓶が目の前を飛んでいくのを叫びながらみていたこともある。母に投げられた皿が頭に当たったのをみてひどく悲しい思いをした。母は父の悪口やお金がないという愚痴をいつも私に聞かせた。おそらく人生で一番つらいことは?と聞かれると父親の悪口をいう母と答えるだろう。当然両親の仲が悪ければ、子供たちの仲も悪い。私の場合末っ子なので、年の離れた兄弟達の恰好の餌食となった。虐待である。言葉や暴力で徹底的にいじめられた。私も何度も兄弟を殺してやりたいとまで思った。実際包丁を持ち出したこともある。今から思えば家族みんな辛かったんだと理解することができる。誰も好きでそんなことをしたんじゃないと。どうしてもどうしても「いけない」と思いながらしちゃうことってあると思う。そして「自分」がたまらなくいやだっただろう。内観をさせていただいた動機は「逃げたかった」である。大和内観所には師走の年明けまじかに集中内観に参加させてもらった。「うつ病」で「慢性気管支炎」で体はぼろぼろ。心もぼろぼろ。最初、私はいかに今まで辛かったかをとくとくと話した。一通り苦しかったことを話し終えたときに、「私はアダルトチルドレンで、父にはマスコット。母にはカウンセラーの役割をしていたんですよね。それで今こうやって負けないぞってがんばってる私はサバイバーっていうんですよね!」M先生が共感して言って下さった言葉はこうである。「よくぞ今まで生きてこられましたね。つらかったでしょうね。そしてよく自分でそこまでお調べになられましたね。知識は力なりですね。」感謝。今まで誰も言ってくれたことのない言葉をかけて貰って本当にありがたかった。面接のあと、屏風の中で合掌し続けていた自分を思い出す。それからやっと本当に家族に対する内観が進んでいったのだが、屏風の中で疲労のあまり倒れこんで夕方まで寝たり、タバコがなくなって奥様に買ってきていただいたり。浮き沈みが激しい7日間だった。それでも1週間の集中内観をさせてもらっても、物事を違う面から観ることを学び始めるきっかけに過ぎないことがよくわかる。               


先日、ご縁があってさる高僧の方と面接をしていただいた。お話いただいたことは沢山ありますが少し。
「魂の栄養は、感謝と懺悔ですよ。」当たり前のことなど、この世に何一つなし。当たり前じゃないから、有難い。当たり前じゃないから感謝する。感謝すると幸せを感じる。幸せと思うことを繰り返せば人生が幸せになる。自分を愛して可愛がって、自分で自分を育てるんですよ。懺悔はね、後ろを向いて後悔することじゃないですよ。あーしたらよかった。こーしたらよかったじゃないですよ。「こんな失敗したな。じゃあ、次はこうしよう」ってのが懺悔です。生き仏のような僧侶さんが、一番人間くさいことを言うのも驚いた。
「辛いけど、苦しいけどね。」って。「この世でね、仏様の作ったものは決して平面じゃないですよ。仏が作るものは必ず立体なんです。」立体だから、影ができる。いつも同じ側面ばかり見ていたんじゃ全体像はわからない。自分の心も同じ。沢山の自分を見つけて、そしてそんな自分を認めてあげてくださいね。愛してあげてくださいね。するとね、自分の内からどんどん輝いてきますよ。」
 人生って内観だなあ。人間は意識していても意識していなくても内観しているものだ。けれど、いい内観と悪い内観があると思う。輝きたいな私。愛したいな、自分のことを。一番自分を虐待していたのは、自分自身。一番自分を愛してあげられるのは、自分自身。
☆1分1秒を惜しんで、内観させていただきます。☆(Miku,O)

【内観体験発表】


教師としての自分を見つめて



         酒井ゆり子(公立中学校教諭)

 

私は中学校で国語の教師をして20年ほどになります。現在勤めている中学校に8年前赴任しました。当時、その中学校では、今、大和内観研修所の所長をされている真栄城先生がスクールカウンセラーとして勤めていらっしゃいました。クラスの不登校の生徒のことを相談したのがきっかけで自分自身もいろいろ相談に乗っていただくようになり、任期を過ぎた後も生徒のことなどで行き詰った時には相談にのっていただいたりしています。  
 このような縁で、今回、多くの方の前で私の内観体験を聞いていただく機会を与えられ、ありがたく思うと同時に自分自身でも驚いています。
 私が初めて「内観」を体験したのは4年前の夏です。真栄城先生が奈良に移られたのをきっかけに内観研修所に行きました。最初の「小学校低学年」を調べていたら、母の笑った顔が浮かんできて、驚きました。以前から母は怒ってばかりいた、という印象が強かったのですが、ひょっとして母に対する私の思いは、記憶違いかもしれない、という気持ちになってしまうほどでした。屏風の中で、母に作ってもらった洋服が次々と思い出され、もと住んでいた家の庭や部屋のようすなど、すっかり忘れていた場面が映像となって蘇ってきました。最初の面接から泣けてきて、うまく話せませんでしたが、だんだん慣れてきて、自分はとても小さくて何もできない情けない人間なのに、母や父、弟のなかで愛され、多くの人に大切にされ、支えられてきたんだ、という実感がもてました。
 そして、「こんな自分でもいいんだ。」という気持が湧いてきて、ありのままの自分を受け入れている自分がいました。
 そのときの集中内観はとても温かな気持ちに包まれて終わりました。
 日ごろ、ほとんど夢を見ないのですが、内観1日目に、木の枝の二股に分かれているところから小さな青虫がひょっこり顔を出している夢を見て、新たな「誕生」を感じました。
 また、とてもおかしい夢を見て、自分の笑い声で目を覚ましてしまいました。こんなことは初めてでした。朝の最初の面接では「昨夜はよく眠れましたか?」と訊かれるので、夢を見たときはそれについても話すことができました。特に面接者が解釈してくれるわけではないのですが、どちらの夢も内観中の自分をよく表しているな、と思いました。
 次の年の夏、何かやり残したような気がしていましたので、2度目の集中内観に行きました。そのときは屏風の中に入ってみて、自分はとても疲れていたんだ、と気がつきました。
自分の疲れにも気がつかないくらい、私の疲労度は限界を超えていたのです。
 その頃、貧血で治療中でした。診ていただいたお医者さんや看護士さんが「疲れるでしょう?」と何度も聞いて下さったのですが、自分自身はあまりピンときませんでした。
 今思うと、感覚が麻痺して、疲れを感じることも出来ず、精神的には相当無理をしていたように思います。内観研修所という非日常の世界に身を置いてはじめて日常での疲れが自覚できたのでした。屏風の中に入ったとき、ほっとしたのを覚えています。
そのときの内観では、まるで幻聴のように、「声」が聞こえてきました。以前に母が私に言った言葉が母の声ではっきり聞こえてきたのです。特に自分でもびっくりしたのは思春期の私が「産んでくれって頼んだわけじゃない!」と母に向かって放った自分の声が、はっきり聞こえてきたことでした。すっかり忘れていたことなのでとてもショックでした。これは、最初の内観では全く思い出すことはありませんでした。
2回目の内観のあとに、職場の人たちに「変わったね。強くなったね。」とか「この頃いつも明るいね。」と言われることが多くなりました。
 確かに、以前の自分と比べてタフになったような気がしました。   たとえば、以前は校則を守らない生徒を叱ったり、問題行動があっても制止することができなかったのですが、内観後は、そういう場面でも踏ん張っている自分に驚くことがありました。自分の仕事をこなすのに気持ちが精一杯で自分からすすんで何か言ったり、したりすることもあまりなかったのですが、「こんなこともしたい。」という気持ちになったりしました。内観で自分が少し変化した、という自覚がありました。
 ところが、まるでそんな私を試すかのように、新しく受け持ったクラスにTさんという女の子が登場したのです。Tさんは1年生のときからいろいろ問題の多い生徒で、学校にもあまり来ませんでした。1学期、Tさんはある事情から私の自宅を知り、友人のAさんと深夜私の自宅を訪ねてきました。二人でタバコを吸ったり、冷蔵庫を勝手に開け、食べ物を食べたり、勝手放題でした。
 もちろん、煙草は注意しました。冷蔵庫は、彼女の家庭の状況を知っているだけに、お腹をすかしてのことだと思い、一応大目に見ておりました。
 そのときの訪問をきっかけに、彼女はその後もたびたび訪れるようになりました。2度目は、夜中に雨に濡れたからと言って、シャワーを浴び、そのまま朝まで帰りませんでした。その夜、私は殆ど一睡もせず出勤しました。3度目にきたときは、こんなふうに好き勝手に訪ねてこられても困る、と私にしたら珍しく強い口調で注意しました。
 すると、「迷惑かけてごめんなさい。頼れるのは先生だけ。好きだよ。」というメモを残して帰りました。彼女の寂しさが伝わってきて私の心は揺れました。しかしこのままでは良くないと思い、4度目に来たときは、居留守を使いました。
 すると、夜中だというのに大声で怒鳴ったり、ドアを何度も叩きました。それでも私はドアを開けませんでした。翌朝、玄関のドアを開けると煙草の吸い殻が二つ捨てられていました。そのときは、これからも夜中にいつ押し掛けてくるかと思うと、恐怖感さえ感じました。このままではご近所にも迷惑をかけるし、どうして良いのか分からず、真栄城先生に相談しました。先生は、学校での私の事情もよく理解して助言してくださいました。というのは、私はクラス担任だけでなく、相談部の責任者としての役割を引き受けていました。そこでは、不登校の生徒や別室登校の生徒達のカウンセリングやプレイセラピーを担当していました。二人は彼氏と別れたりして拠り所をなくしてくるということもあり、受け止めてあげたいと思う自分と、でも、もう一緒にいることが嫌で、心から話を聞けない自分がいました。
 「Tさんに対しては、カウンセラーとしてではなく、担任教師として毅然とした態度で、文字通り教え諭す、教育者として臨むように」というのが真栄城先生の助言でした。
この相談をしていくなかでほんとうに少しずつですが、自分自身の問題にも気づかせてもらいました。私の中には、人によく思われたいという気持ちが強く、嫌だと思うことも断われない自分がいて、どんどん二人の甘えをエスカレートさせてしまい、挙げ句の果てに、二人を恨んでしまっていました。とにかく、その助言をもらって、私の精神状態も安定していたのですが、秋の体育大会の練習中に起こった、ちょっとした事件が引き金で、私は自分の限界を知らされることになりました。簡単に事件のあらましをおはなしすればこうです。
 私の帽子をTさんがかぶっているので、「返して!」と言ったのですが、彼女はそれを無視して返さず、大人げないのですが、つかみ合いの喧嘩になってしまいました。私は、口の中を切ってしまい、Tさんの腕には私の爪跡が残りました。
Tさんは、その後落ち着いてから、私に「いつもならこんなことでは怒らないからいいと思った。」と言っておりました。
わが子の反抗期に直面することによって親自身が成長するように、教師も生徒の反抗に鍛えられて一人前の教師になっていくように思います。 私は、これまで生徒を指導したり、諫めたりすることを苦手にしておりました。Tさんは私の教師としての態度がどのくらい本物か試してくれたと言っても良いかもしれません。
 私は、なんとか教師らしく振る舞わなければ、という意識が強く、またこのまま受け入れてはいけないと思い、Tさんに対してかなり過剰に反応してしまったようでした。
 その後、自分の気持ちを率直にTさんに話すこともでき、お互いに納得したものと思っていました。そして、担任としてなんとか彼女を無事に卒業させることが出来た、と安堵していたのですが、気持ちに張りがなく、気分がふさいでいくのを感じるようになりました。 
 その頃、なんだかよくわからないけれど、「自分がもう限界だ。」という気持ちがだんだん強くなっていきました。しかし、何に限界なのか、どうしてそう思うのか、自分自身、言葉に表すことも、深く考えることもできずに、ただ、この気持ちをどうにかしなければいられない、と思ったとき浮かんだのが「内観」でした。いつ予約をとろうかな、と思っていると夢を見ました。生徒なのか、教師なのかわからない自分が学校で爆弾を爆発させている夢でした。それでこの後すぐに、予約の電話をいれました。
 今年の3月のことです。3回目の内観を体験しました。
 このときの内観は仕事の関係で3日半くらいしかとれませんでしたが、内観へ行かなければ、自分を立て直すことが出来ないほど切羽つまっていました。
 「なぜ内観をしようと思いましたか。」と聞かれても、漠然として「自分を振り返ってみたいから。」としか答えられませんでした。でも、その時Tさんとのことが思い浮かびました。そのことは気になりながら、整理しないまま来てしまったので、うまく説明することもできませんでした。
 今回は短期の内観であったため、内観に入る前に、まず、出来事を書いて整理してみるように助言されました。その結果、自分の限界感や抑鬱気分の背後にTさんとのことがわだかまっていることに気づくことが出来ました。Tさんを切り捨ててしまった自分への罪悪感。教師として向き合わなければならないのに、Tさんを甘えさせ、離れられない自分。いろいろな自分が見えてきました。
 しかし、それだけでは、自分の心が納得してくれませんでした。
短期間の内観ではありましたが、Tさんへの内観にはいる前に「母」に対して調べることにしました。多くの出来事は1回目、2回目の内観で思い出されていたので順調にすすみました。
 でも、今回、どこを開いても朝早くから家事をしている母、仕事で疲れ、布団に入っている母のように日ごろの母の姿が浮かびました。このことをどう面接者の方に伝えていけば、よいのか戸惑いました。その時の出来事を中心に以前は考えていたのですが、どの時も母が私のために働いたり、気を遣ったりしているようすが思い浮かびました。自分のためではないのに、母はそれを嫌そうにはやっていませんでした。まるで、そうすることが、あたりまえのように働いていました。以前よりもずっと母の思いを感じることができました。
 「母」が終わって、Tさんに対する内観を始めました。前よりも素直にTさんのことやTさんに対する自分を考えることができました。Tさんがつきあっていた男の人のことで相談に来た時にきちんと向き合わなかった自分が表れたり、TさんとAさんが教室を離れ、一緒に給食を食べようと言われた時ずるずる受け入れていた自分を後悔したりしました。面接で真栄城先生に「帽子はなんだったのでしょう?」と言われ「自分の気持ち。
 でも、それをあげることはできませんでした。」と答えたとき、自分の切羽詰ったそのときの気持ちが思い出されました。そして、あの喧嘩のあと、Tさんが登校するときはとても気を遣ってたことに気がつきました。もっと早くTさんと教師と生徒という枠組みを築けたら、お互いにこんなに傷だらけにならなくてもよかったのに、と思いました。自分がTさんによく思われたくて受け入れていることが、Tさんも自分も傷つける結果を生んでいました。自分がこの問題に向き合うことが怖くて、考えないようにしていたんだ、ということにも気づくことができました。母の内観をして自分の心がこの問題に向き合う強さが生まれたのだと思えました。長い間、私の中には母から見捨てられるのでは?という不安が潜在していたことにも気づくことが出来ました。
 母やTさんに対する内観を通してやっと自分の中に課題に向き合えた気がします。夏に頭で考えたことが心で感じることができたようです。そして、「内観」を通して前向きに乗り越えようという気持ちが湧いてきたように思えますし、もし「内観」をしなかったらこのまま夢のように爆弾を爆発させていたのかもしれません。
 この内観中に見た夢で内観に行くきっかけとなった夢とつながる夢があります。車で走っていると、煙が立ち込めていて迂回路に回りました。
 すると、そこに人が倒れていて、どうもその人が爆弾を爆発させたらしい、と分かります。その人を車から降りて助け起こす、という夢です。そこには面接をして下さった真栄城先生もいて、「こんなことではいかん。」と叱っています。爆弾を爆発させた人も助けた人も私だ、と思いました。自分を自分が助け起こすというところで「内観」にきてよかったなと思いました。このように夢によって内観中の自分の気持ちの状態がよくわかりました。
 「内観に行く。」と言うと、周りの人に「大変じゃない?」「つらくない?」と言われます。自分でもなぜ行きたいのかわからないでいますが、本能のようなものが、「行かなくては。」と言っている気がします。毎日、毎日の生活の中では自分自身が生活していくことが精一杯で、本当の心の奥まで振り返ってみることができません。気付かずに、または気付かないようにしていることがたくさん心の底にたまっていっている気がします。つらかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと。大丈夫と思って、何でもないように、終わったことのように考えていても、それは自分で、自覚していないだけで、心の中から消えてなくなっていません。
 でも、実際にそのことをみつめられない怖さがあります。屏風の中で母や父のことを考え、自分の情けなさに泣いていると、自分の中のそういう気持ちにも安心して素直に向き合える強さが生まれてくる気がします。内観は私にとって、心の底の気持ちを整理し、新たに出発させてくれるもの、という感じがして、なくてはならないものです。自分のしていることが「内観」になっているのかよくわかりませんし、自信もありませんが、このような体験をさせていただいていることに本当に感謝しています。
 また、私のつたない話を最後まで聞いていただきありがとうございました。


(本文は、第27回日本内観学会における体験発表の原稿を寄稿していただいたものです。酒井先生に心より感謝申し上げます。)



大和内觀研修所での體驗一週間

李 李 大云


l はじめに.
「内觀」とは なにか?… 集中内觀を 一週間 體驗したとして,内觀とは こういふことだと 理解するのは,あまりにも行き過ぎるのではないかと思ふ.しかし,一週間の内觀體驗での感想を 述べるとするならば "内觀"とは 文字そのとほり 自身の心の内側を觀ることだといへる.
この世のことから離れ,神さまの前で自身の過去を告白するときは, 先ず,自身を顧りみる姿勢と全くおなじではないかと(私がカトリックの信者でもあること)おもわれる.
内觀とは,佛の禪から由來したとされる.しかし,今から50余年前に吉本伊信先生(1916~1988) が 現代人の爲に 自身の内側を觀て自覺する修行法の一つとして開發されたことだと,今度の内觀研修において,はじめて分かったことである.
最近は内觀の體驗が自身の修養のほかにも,精神および心理療法として廣く利用されているようである.不安,焦燥,憂鬱,不眠,神經衰弱等,精神 心理的に健康でない人達,藥物中毒者, 夫婦 または 姑婦間の葛藤, 非行少年 犯罪行爲者が内觀の修練後,自覺とともに 新しい生活ができた人達が 多くなったといはれている.
私の 個人的な考えでは,大部分 社會的な犯罪,不安,混亂な對人關係で,傷ついているとか,家庭の不和, 孤獨感, 罪意識などが 無意識的に各自の心の一隅に屈折していると考えられる.この屈折が なにかと探して觀ればその解答がを得られるのではと思はれる.それで,内觀とは 自身を深く觀ることで 自覺とともに 新しい生活に發展していく,自身の修行療法のひとつではないかと言へる.

2.私が初めて内觀に出合った こと
午後 5時頃 外には 夏のあらしが 急に ものすごく 降っていた.四方が眞つ暗らで陰鬱であつた.傘もなく,どうして 家に歸えるのかと一人言をいっていた.どういうわけか 心が鬱寂になり 孤獨感が襲ってきた.私はいま何をしているのか? 何をすればいいのか? はたして,私は何なのか? 年も多くなるし,なん年の後は停年退職もしなければならないし,このような 生活でおわるのか? それよりも 私は 神さまに,この世で なにをしてきたのかと 言ったらよいのか,このような雜念に捉われてしまい、たまらないほどつらくなった.そこで、いつも親しく會つてくれる 許瑾 神父(カトリックアルコ-ル司牧セン-タ)の所へ面談にいった. 許瑾 神父は いつもと同じように あたたかく 私の話を聞いてくれたあと,私に 内觀案内書を いっさつ くれながら 一度 讀んでみればとの おはなしであった.
内容は,日本の "瞑想の森 内觀研修所"の紹介と内觀の體驗談(洪裕碩氏の飜譯)であった.
そこで,氣付いたのが,自分がいままでは 人生の先だけをみながら走ってきたようで,内觀によって,自分の過去を 一度 顧りみ,今後は どう生きていけばよいのか,また, 價値のある生き方とは何なのか? 事實,このような事に對して,いままで深く考えたことが一度もなかった.また,一日24時間中,化粧室に座わている時間の外にはなにかを考えてみる時間も別になかったようである.
自分も一度内觀をしてみよう,そう思ひながらも内觀の體驗申請をする前に,内觀研修所を一度訪問し, 見學してみたいと思った. それで,會社に一週間の休暇をとり,日本産業カウンセリング協會の研究大會に參加した後,大阪のカトリック内觀瞑想の家と奈良の大和内觀修練所を訪問し,内觀の體驗が, はたして自分の一生にどのような變化が期待できるのか,まず,心の準備をしておきたかったなのです.勿論 朴鎬(カトリック大學授)と洪裕碩(大眞大學授)二人の同行と案内をお願いしての訪問であった.
カウンセリング研究大會の翌日の午前中,最初に カトリック内觀瞑想の家(マリア修道院)で,藤原神父を訪問することにした.
藤原神父は私達が訪問するとの連絡を受けていたので,わざわざ近くの賣布驛まで仰えにきて下さいました.また,藤原神父のとても謙遜な姿勢におどろき恐縮しました.藤原神父は 大阪區所屬の司祭で 會の司牧と,神學校の指導神父を歴任任したあと,約10年前から 内觀修練の擔當司祭として 各地域 の 聖職者,修道者,および,平信徒の内觀修練を指導していました.修道院内の内觀研修室を案内とともに内觀修練時の面接の實施もしていただいた.
高さ約 1米程の和紙で作られた屏風の内でした.藤原神父は面接前後に屏風の外で正坐の姿勢で日本語がよくわからない私にしても,その雰圍氣がとても嚴肅であることをしみじみと感じられました.特に平信徒の前に正坐しておじきするとは,信者の一人として此の世に生まれて初めての光景なので私が受けたおどろきと衝撃は大きかった.
午後は 電車で,大和内觀修練所を訪問しました.日本の内觀研修所の本部でもあり,内觀創始者である吉本伊信先生が内觀を始められた内觀の總本山地で,内觀創始者の精神と魂が殘ってい所である.多くの外國人達もの研修所で内觀の修練をしていたところでもある.別棟の資料室には内觀研究の資料と本が山ほど所藏されていた.
日本では,内觀が 精神醫學界および 心理學界で 内觀心理療法として活用され その效果が,立證されているし,内觀學會の活動も學術的に相當な水準に達していることが分かってきた.眞榮城輝明先生は,吉本伊信の創始から,3代めの所長で,臨床心理士として病院で24年間の心理治療の經歴とまた,大學の臨床心理學の講師(非常勤)を2年間務めた後,ここの所長に赴任してきた方であった.
修練所は純日本式の木造の新らしい建物で, 2階がの修練場で多くの部屋があった.超現代的な完全自動化した施設で,食堂,化粧室,お風呂の湯かげんも自動化している.別棟では,内觀の歴史と今までの活動を紹介していただいた.私が まず,心配したのは内觀が カトリック信者としての 理と信仰生活に どのような違いがあるのか,また,内觀のための時間と努力をつくした效果に たいする疑問も檢討してみたかった.その結果,内觀とは混濁で複雜なこの世の現代人において自身と共に生きる必要の方法として,またカトリックの理とも適合するのではとの 確信をもてるようになり,2個月後に,内觀修練に參加する約束をして 歸國しました.

3.大和内觀研修所での内觀體驗

まず,私の内觀修練の動機ですが,私は今まで何をしてきたのか? いまは 何ををしているのか? また,今から 何をすればよいのか?を 自分が何を探し求めているかである.勿論 内觀の動機においてはこれまでの私の歩んできた人生が深くかかわっているのですが、私の家庭環境は曾祖父時代から熱心なカトリック信者の家系であった.それで,私も幼兒洗禮をうけましたし,小學校3年のときに靈聖體もうけました.そのあと,母の勸めで 中學,高校も カトリック系統で,大學も神學校に入學し,卒業後,神父になるのを目的に勉学に励みました. しかし,神學校の卒業直前に思ひつかなかった突然の事故で神學校を退學させらたのです.その心の傷と私を追い出した會にたいする反撥で,アメリカに留学して神學の勉強も續けましたが,結局 結婚をして 今は,妻と 二人の子供を授かりました。これも 今では神さまのおかげではないかとおもひます。が,神學生時代の事と神父になれなかった當時の心の傷の治癒は必要不可欠なことであり、その心の傷の治癒ができればと思っていたところ、内観を紹介され、内觀修練に来たというのが私の動機である.

(1)内觀修練手續
ようやく 2002年 7月 7日(日) 内觀修練の爲,ソウルの仁川空港から大阪の關西空港を經由,空港から J R 線を乗り継いで、大和郡山に到着したのは 私を包め 一行 4名であった.その中の一人は. 高等學校の校長を退職後, 今は 養老院を經營している方で,もう一人は 個人事業の自營者で, また 一行の日本語の通譯として隨行した金相文氏(内觀に關心が高くソウル家庭法院の調停委員の經歴)である.
大和内觀研修所に着いたときは. 眞榮城所長と,私達のことをきいて,わざわざいらした,山大學の石井光授にごあいさつをかわしました.石井授は法學部の授なのにも内觀の著書も多い有名な方でもある.
まず,修練申請書には,住所, 姓名, 年齡, 健康状態, 食事の準備の爲の參考事項と又 修練の受けることになった動機,内觀に對しての紹介者を書く欄があり,内觀に入る前に,家族, 會社の同僚 親友など 自分に影響をあたえたと考える人達の紹介などの談話がありました..
1). 修練守則
内觀の修練にたいして守もらなければならない規則があり,その具體的な内容は次の通りである

1) 内觀中は絶對的な沈默であり,もし,知人と相面したときとか,内觀の一行とすれちがったばわいでも見ない振りをし,自身の事、即ち内觀に專念すべきである.
屏風の中に入った後は外には出られない,化粧室とか お風呂を使うとき以外は許されない 萬一,それが守らねないときは,内觀を中斷して家に歸へるしかない.
2)食事は 面接者が配達してくれるので屏風の内で食べます.食事も内觀の繼續であるからです.食事の内容については、健康上の特別な事情がある場合は,事前に連絡することができる.屏風の内での姿勢は自由ではあるが,よこになることはできません.ただ,からだの不自由な方,身體的に問題のあるときは,椅子または 寢臺の使用も許されます.服裝は平常服で行動も屏風の内では自由である.
一週間の内觀中 一日 數十分は簡單な作業も行なわれます,たとえば,掃などで,體を動かすことで,消化の促進と 筋肉を解きほぐし,疲勞 回復を謀るためである.

3) 内觀中は TV, ラジオ, 新聞,雜誌,電話,手紙をかくことは絶對的に許されません.外部と遮斷して内觀に熱中させるためである.もちろん. お酒もだめです.煙草はとくに禁止ではないのですが,喫煙は喫煙室でのみ許されています.内觀中は字を書くのも許されません.最小限のメ-モは許されますが,一分一秒でも内觀に集中させるためです.
4). 次に内觀に入りますが,まず先に 自分の生活の中で最も深い影響を受けた父母から始めます.もし,父母の記憶が全ぜんないばあひは,その代りに恩惠を受けた方から始じめますその次からは 妻,夫,子供,兄弟 親戚,恩師.恩,部下,同僚と,自分が内觀に入り順序をきめる
内觀の第一歩は,お母さんにしてらったこと,自分がしてあげたこと,迷惑をかけたこと, この三っの質問を,過去から現在まで思い出すことからはじめる.また思い出すことも年齡別に分け,最初は 小學校 1年から 3年まで,次は 4年から6年までと 中學校,高等學校,大學時節等にと内觀に入ります.

(2)内觀修練中の感想
指定された屏風のなかで静坐するにはせまい空間であり,四方を屏風でかこまれているので外部とは完全に遮斷されているのは,自分を深く觀る事に專念すためだとおもひます.ただ 天井だけをみることしかできないので、私は1分もたず窮屈で がまんできないほどになりました.一週間をどうして耐へられるのかが心配で,自分を知るよりも,もし,精神病者になるのではないか? はたして期待するほどの效果があるのか,又,宗を持たない面接者からの影響で自分の信仰心も喪失するのではないかと はじめは いろいろな雜念と身體の苦痛と不便がしてきた.
目を閉じて内觀に集中しようと努力してみた.今までは目をあけているのは,なにかを觀るためであった.すくなくとも,一日の 16時間は外觀でしていたのである.ここでは,反對に 16時間の内觀をすることになった.今までの私の判斷はおもに外觀によってであった.他人があのようなの行動をするなら 私もそのように行動をし,相對方の缺點や 短點を批判的に判断しながら,自分の行動はいつも正當化してきた. 今からは 靜かに,自分の過去のした事をふりかへりみることにした. 一, 二日,すぎたころころからは,心が少しずつ落ち着きはじめて,なにかが見えるようになった.せまいところだと思っていた屏風の中が,今は海のように廣く,心ゆくまで水泳もできるような氣持になってきた。また,この中には,私の生涯があり,父母があり,妻があり,子供があり,今まで共に暮らしてきた人達があり,うれしいこと,喜しいこと 愛と 憎しみは勿論 平和なひと時だけでなく、不安で過ごした日々もあった.

(本文は、加筆と修正を加えた後、内観ニュース第28号に掲載されているが、それの元原稿である。翻訳は、大眞大學の洪裕碩授による。著者の李氏は、内観後、韓国に内観研修所を設立するために心理学の博士号取得を目指して、アメリカの大学院に入学し、今年の2006年5月に博士号を授与されたと知らせてきた。2006年10月には韓国で内観療法ワークショップを開催するという。いよいよ近く、韓国に第一号の内観研修所が設立される予定のようだ。楽しみである。)

NO.16 【体験談】
「私は十七歳の女子高生です。」

私は、この言葉をこんなにも違和感なく言える日がくるなんて思ってもいませんでした。
と、言うのも、内観を受けるまで、「女子高生」であることに心底嫌気がさしていたからです。

内観に出会ったのは高校2年生の5月頃。
不登校になっている私を心配して、母が内観を探し出してくれたのです。
不登校になったのは高校1年生の11月から高校2年生の5月頃まででした。
ですが、小学校2年生の時から学校に行くことが辛かったので、そのころから不登校だったと言えるかも知れません。
不登校の他、中学3年生からはリストカットもしていましたし、ダイエット目的で拒食症にもなりました。
今思えば闇の中---しかも、奈落の底よりも、もっともっと深い暗闇で生きながら死んでいました。

それが、どうでしょう。
内観を受けて、少し時間をかけてですが、学校に行けるようになったではありませんか!
奈落の底よりも深~い闇の世界から一転、観音様の光が見えた感じです。(これが実際、内観の後半で観音様の光がさした様に思え、飛び跳ねてしまいました。)
「こんなにも世界は明るかったんだ!」…そんな気持ちでいっぱいでした。
今では、学校がなくてはつまらない私です。

こんなにも素晴らしい内観を見つけてくださった母に、とても感謝しています!
なにせ、「自分の未来なんてない」と思っていた私が、今では「未来は明るい!」と思えているのですから…。

NO.12
内観で見つけた「ドーナツ」

竹谷 紗織(高校生)

 私は、幼い頃から母親と父親が大嫌いでした。だから、自分自身のことも大嫌いでした。ついに、高校一年の冬に私は家出をしてしまいました。そのことが学校に知れ、無期停学を言い渡されたのです。これからの自分を思うと、どうしてよいかわからず、とても不安でした。
そんなとき、学校の先生が内観を勧めてくれました。雪国育ちの私は、奈良へは行ったことがないので、母と旅行するつもりで奈良行きを決めました。
しかし、母と乗った寝台列車の中は会話もなく、重苦しい空気に包まれて、窒息しそうでした。大和内観研修所に着いて、内観の説明を受けた後、母と私は別々の部屋に通されました。ひとりで使うには広すぎる和室の隅に屏風と座布団が置かれていました。その中で一週間もじっとしているのかと思うととても不安でした。
一日目、小学校一年生から三年生までの「母にお世話になったこと、母にして返したこと、そして、母に迷惑かけたこと」の三項目を調べました。私は、一生懸命に思い出しました。
その頃、両親は共働きだったので、母は夜の八時、九時まで帰らないことが多く、姉と弟と私は祖母の家で母の帰りを待ちました。幼い私はとてもさみしくて「仕事を辞めて!」と母に言ったことがあります。それでも辞めない母を見て、「私よりも仕事とお金が大切なんだ」と思うようになったのはその頃からでした。
しかし、内観してよく考えてみたら、両親が毎晩遅くまで働いているのは、他の誰でもない私たちのためだったんだ、ということがわかりました。弟が事故で死んでしまいました。
それからです、今まで以上に両親が過保護になりました。中学生になった私にはそれが煙たくて、嫌でした。自分の気持を親に話さないようになりました。高校生に入ってからは、いつも私を心配する父や母に背を向けて、裏切る行動に出て、それでまた自分を嫌いになっていく私でした。両親の気持ちは痛いほどわかっていました。
それを知らない振りして、両親の気持ちを踏みにじっている自分が情けなくて、しまいには自分自身に腹が立って、それをまた両親にぶつけるという悪循環を繰り返していました。
「どうしてそんな態度とるの?」と言われてもなんて答えてよいのかわかりませんでした。何しろ自分に対して怒っているのですから。
私は、畳半分の屏風の中で母を想いました。
「いつも見守ってくれた母。何があってもいてくれた母。感謝しきれぬ母。ありがとう。ありがとう。」
心の中でそれだけがこだまするようでした。私は、これまでの悪循環を断ち切らなければ、とそれだけを考えていました。
そのとき、ちょうど父に対する自分を調べていました。父がよくおみやげに買ってきてくれたドーナツが頭の中に浮かびました。
 「これから私は、ドーナツの中に生きる」
それが私の出した答えでした。どういうことかと言いますと、自分が中心にいると人の考えていることが見えにくくなります。自分のスピードで回ってしまいます。だけど、ドーナツには中心がありません。だから、自分は“ドーナツの一部になる”のです。一部であれば、周りのスピードと同じように回ることができるし、相手の気持ちがわからなくなったら、ぐるっと回って相手のいた所に立つことができます。
 さらに、私はいろいろなドーナツの一部であることにも気づきました。
 家族、クラス、友達など、いろいろなドーナツの一部であることを思うと、私はとても嬉しくなります。確かに、ドーナツであることの責任は重い。だけど、相手の立場に立てば、相手の気持ちになったら、その人を悲しませるわけにはいきません。
 あれから、四ヶ月になります。屏風の中で見つけたドーナツは今でも私の宝物です。

(本文は、2003年9月発行のやすら樹81号から転載しました)


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