―特集―
内観法と内観療法の原点を探る
―心理療法の視点からみた「内観」の検討―
真栄城 輝明(大和内観研修所)
要 約
小論は、第26回日本内観学会のパネルディスカッションで発表した内容を下敷きにして、それに若干の加筆と修正を加えたものである。 表題のメインテーマは、企画者から与えられたものであるが、筆者には表題に示したようなサブタイトルが必要であった。
これまで「内観」は、主として内観研修所のような場でおこなわれるとき、内観法と呼ばれ、病院などで心理療法として用いられるときに内観療法と称されてきたようであるが、ここでは内観法と内観療法の用語の検討を通して考察した。
ところで、ここで採用した心理療法の視点とは、臨床心理士の河合隼雄によって分類された心理療法の視点のことであり、それを参考にしながら、「内観」の検討を試みた。
ちなみに、小論では、「内観」という言葉を内観法と内観療法を包含するものとして用いている。
<Key words : Naikan (内観)
Naikanmethod (内観法)
Naikantherapy (内観療法)
Psychotherapy (心理療法)
Ⅰ はじめに
「内観の原点にかえる」というメインテーマを掲げて開催された第26回日本内観学会・香川大会(洲脇寛大会長)が、「内観法と内観療法の原点を探る」というパネルディスカッションを企画した際に、筆者にもパネリストとしての役が与えられた。
ちょうどその頃、筆者は本誌の前号に「『内観』をめぐる小考察」という拙文を執筆したばかりで、それを査読した横山茂生編集委員から「内容の一部は割愛して、それを次号で展開したほうがよい」という助言があった。
そのため、前号のはじめの書き出しに「『内観』について論じるにあたって、『内観法と内観療法』という用語についての定義から検討しなければならないかも知れないが、それについては他日を期すことにして」と述べておいたのは、そういういきさつからである。
そして、パネルディスカッションが本誌の特集に組まれることになったため、期された他日がやってきた。当日の発表原稿に前号で割愛した一部を加筆して修正を加えたのが小論であるが、当日の発表では、臨床心理士の立場で「心理療法の視点からみた『内観』の検討」というサブタイトルを付して発言した。
その際にまず、「内観法」と「内観療法」という用語の検討から始めた。
そこで、先行研究や文献に目を通したところ、研究者間に微妙な、しかし、決して小さくない定義の違いがみられた。詳しいことは前号に述べたのでそのまま繰り返すことはしないが、論を展開する上で必要と思われる箇所についてのみ再述してみよう。
すなわち、「内観と内観法と内観療法」という用語がそれほど厳密に区別され、使用されてこなかったように思われたので、前号において筆者は、石井光と三木善彦の考えを対比的に紹介した上で、論を展開した。それを取り出して述べれば、こうである。
石井光は、安田精神保健講座において「『内観』あるいは『内観法』というのは簡単な3つの質問で自分を見つめる自己観察法のようなものです。―中略―内観は心理療法としても非常に効果があるため、『内観療法』として使われていますが、『内観療法』というのは『内観』のいわば一部ですので、ここでは『内観』についてお話しさせていただきます。」と、冒頭にこれら3つの用語についての見解を述べている。すなわち、石井によれば、内観=内観法>内観療法の関係だというのである。
一方、三木善彦は、自著「内観療法入門―日本的自己探求の世界―」の中でこれら3つの呼び名についてこう記している。
「本書の題名は『内観療法入門』であるが、内観法は不健康な者を健康にするという治療的要素のみならず、多分に健康な者をより健康にするという教育的要素をも有すること、いちいち内観療法というのは煩わしいことなどの理由から、本書の中では内観または内観法とした。これは、精神分析療法が単に精神分析と使われるのと同様である。」と。
つまり、三木によれば、三者とも同義であり、内観=内観法=内観療法だと理解してよいらしい、とそこまでは、前号で述べた。
ところで、このような見解の相違がどうして生じるのであろうか?
内観の原点を知る上で、吉本伊信の考えを知ることも必要であろう。第1回内観学会の記念講演で「内観法と私」と題して、吉本は次のように述べている。
「『お前自身今どのように思っているのか』と訪ねられますと、
“見る人のこころ心にまかせおきて 高嶺に澄める秋の夜の月”
悲しい目で見ればお月さんて悲しいものや、寂しいものや。嬉しい嬉しい時に見ると、そのお月さんが非常に嬉しい有り難いと見えます。」と答えている。
つまり、創始者の吉本の言葉によれば、各人の立場によって見解に相違があるのは自然なことだと言うのである。なるほど、立場によって見解が違うのは、あって当たり前のことかも知れないが、今回、内観法と内観療法の用語の検討をしながら連想したことがある。それは、すでに歴史上の出来事になってしまった感もあるが、精神療法と心理療法についての論争である。
Ⅱ, 精神療法と心理療法
かつて、精神医学の世界で「東の井村、西の村上」という言葉が囁かれていた時代のことである。村上仁は京都大学精神医学教授、井村恒郎は東大を経て日本大学の精神医学教授に着任後、全国から門下生が集まっていた状況で生まれた呼び名であった。
その井村の門下生のなかに臨床心理学者でわが国のロールシャッハ研究の第一人者となった片口安史がいた。これから述べる精神療法と心理療法にまつわるエピソードは、生前の片口が折に触れて語っていたものである。それを直接、拝聞したとはいえ独特の味わいのある語りをそのままに伝えることはむつかしい。そこで、少し長くなるが、遺著の「新・心理診断法」から片口自身の文章を引用することにしよう。
「従来、久しくPsychotherapie;psychotherapy は、邦語では“精神療法”と言いならわされてきた。しかし1952年、偉大なる精神医学者・井村恒郎は、その著【心理療法】の序文において、“精神療法”に代わる“心理療法”という言葉を提案した。この新用語の提案の意図は、井村によると以下のごとくである。
『卒直にいって、医学や心理学にたずさわるわれわれにとって、精神療法という言葉は、なにか科学的な技術とは縁遠い呪術に似た印象をあたえる。・・・(中略)・・・著者は精神療法が、科学的な技術となるために、まず、背景にある教義からはなれて、臨床にたずさわる者すべてにとっての共有財産となることを希う。現状のままで直ちに科学的技術にまで脱皮することはできないにしても、せめてその前段階として、臨床のための常識となることを期待する。この期待を抱いて、現代の多くの精神療法の主義を整理しながら、概説してみたのがこの書【心理療法】である。』
すなわち井村は、心理療法という用語の中に“psychotherapy”の普遍的・科学的発展の悲願をこめていたのである。この新語の提案は賛否両論に分かれ、多くの論議を喚起し、30年余を経過したこんにちにおいても、この提案の影響はきえていない。筆者の最初の著書(片口 1956)を【心理診断法】としたのは、この井村の構想に対する深い共感による以外なにものでもない。しかし、不幸にして本来の意図が歪曲され、psychotherapyをめぐっての臨床心理学者と精神医学者の間の、非生産的な対立の具に利用されることもあった。ことに筆者の立場からすれば、精神医学者の思いあがりと特権意識が、井村の深い意図を台なしにしてしまったように思われる。また、一方、臨床心理学者の側の医師に対する劣等感からくる背伸びした姿勢がそれに拍車をかけた点も否めない。」
このエピソードを語るとき、日頃は冷静で温厚な片口の口調が熱を帯びることしばしばであった。というのも、師として尊敬する井村がのちに“心理療法”を撤回し、“精神療法”に戻ったことを聞き、相当な衝撃を味わっていたからである。片口は苦悩した末に、同書の中で、次のように述べている。
「現在、筆者はそれゆえ、精神療法か心理療法かの、不毛の論議の場から脱却するために、本書【片口1974】ではあえて“サイコセラピー”という表現を用いることにした」と。
このような一連の論争を見聞してきた筆者としては、小論のメインテーマとして与えられた「内観法と内観療法の原点を探る」に取り組むにあたって、その用語の検討から始めたわけであるが、不毛の論議に陥ることだけは避けたかった。
そのために、内観療法が内観法の一部だと考える(たとえば石井のような)立場の見解に耳を傾けてみた。すると、心理療法について充分な理解があるようには思えなかった。
そこでまず、心理療法に対する誤解を解くために、小論のサブタイトルとして「心理療法の視点」を持ち込むことにしたというわけである。
Ⅲ, 心理療法の視点からみた「内観」
既述したように、内観法と内観療法について心理療法の視点から考察することにした。心理療法の視点といってもいろいろあるが、ここでは、「心理療法序説」(河合隼雄、1992)の述べられていることが、小論の意図にぴったりくるものがあって、参考にした。
まず、第一章に「心理療法の目的」を掲げた著者は、それに入る前に慎重な前書きを記して、こう述べている。長い文章なので途中を略しながら、小論にとって必要と思われる箇所だけを抜粋して引用した。以下には、それを示そう。
「心理療法は、心理的に困っている人を援助するという極めて実際的な要請に応えて行なわれてきている。そして、その名前が示唆するように医学の領域から生じてきた、『病気を治す』という一般的なイメージと平行して、心理的な苦痛を和らげるという目的を期待されている。―中略―心理療法は現在においては、医学の領域をはるかにこえてしまって、その目的や方法も一筋縄では把握できないものとなっている。従ってそれを『定義』することなど不可能に近いのだが、話のはじまりとして一応それを試みることにする。」と述べた上で、次のように定義してみせている。
「心理療法とは、悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮を持ちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること、である。」と。
もちろん、これで心理療法のすべてを言い尽くしたとは述べてないが、定義としては必要でかつ十分な内容が盛り込まれているように思われる。そこで、河合に倣って内観療法の定義を考えてみた。上述の心理療法を内観療法に置き換えただけのことである。
すなわち、「内観療法とは、悩みや問題の解決のために来所した内観者に対して、自身も内観を体験し、内観に精通した専門家が、内観による接近法によって、可能な限り内観者の全存在に対する配慮を持ちつつ、内観者がこれまでの人生の過程を発見的に振り返り、それを基に現在の生活を幸せに感じて歩むことを援助すること、である。」と、してみたがどうだろうか。
そして、これをそのまま内観法に当てはめてもよいと考えている。
ところで、河合によれば心理療法には4つのモデルがあるという。最初に示された医学モデルは、西洋近代医学の申し子であり、自然科学的な思考に慣れた研究者にはわかりやすい。
著者が示した図によれば、医学モデルとは次のようだという。
症状→検査・問診→病因の発見(診断)→病因の除去・弱体化→治癒
そこで、フロイトは自分の治療法をそれに習って説明したという。つまり、
症状→面接・自由連想→病因の発見→情動を伴う病因の意識化→治癒 がそれである。
そして、次に挙げたのは教育モデルと呼ばれるもので、医学モデル同様に因果律の考えによっており、「いかなる問題もその原因があるはずである」との見方である。それを図示すれば、
問題→調査・面接→原因の発見→助言・指導による原因の除去→解決 となる。
このような因果律によって内観を捉えているのが、先に紹介した石井と三木の考えのようである。ただ、石井が内観療法について医学モデルだけで見ているのに対して、三木は「内観法は、不健康な者を健康にするという治療的要素のみならず、多分に健康な者をより健康にするという教育的要素をも有する」と述べ、内観療法と内観法の双方に医学モデルと教育モデルを想定している点が違うようである。とはいえ、両者には、法学者と心理学者という専門の違いはあるが、大学人という立場は共通している。大学の研究者が、自然科学的思考に慣れた人だと言って差し支えなければ、因果律によって説明可能なモデルで内観を考えたとしても不思議ではないだろう。
ところが、臨床現場にいる心理療法家などが好むモデルがある。それを河合は成熟モデルと名付けた。科学的な因果律で説明できない場面に遭遇してきた臨床家にとって、既述の二つのモデルは、実際の心理療法ではあまり有効に感じられないために、この成熟モデルは考えられたようであるが、図示されたものはこうである。
問題、悩み→治療者の態度により→クライエントの自己成熟過程が促進→解決が期待される。
ところで、河合は治療者の態度について「クライエントという存在に対して、できるだけ開いた態度で接し、クライエントの心の自由なはたらきを妨害しないと同時に、それによって生じる破壊性があまり強力にならぬように注意することである。」と述べている。
これは内観の面接者にとっても留意すべき点ではあるが、他の心理療法と違って、内観には屏風という枠があるだけでなく、内観者は与えられたテーマに添って考えなければならない。
そこで、内観法と内観療法の面接者にはその態度に若干の相違が出てくるように思われる。
というのは、内観法の面接者が内観の法(きまり)に重点をおく傾向があるのに対して、とりわけ、心理療法出身の内観療法の面接者の場合、「クライエントという存在に対して、できるだけ開いた態度で接し」ようとするため、内観の法(きまり)よりも内観者に添うことを重視する傾向があるように思われる。これはしかし、どちらがよいとか悪いという問題ではなく、面接者としての自分の傾向をよく知っておくことが肝要であろう。
そして、最後の4つ目に挙げられているのは、自然モデル(「しぜん」ではなく「じねん」と称する)と呼ばれるもので、因果的な説明ではなくユングがリヒャルト・ヴィルヘルムに聞いたとされる有名な「雨降らし男」の例を引いて説明している。詳しく知りたい読者は直接、河合の著書を読んでいただくとして、ここには河合自身が例の「雨降らし男」の態度こそ心理療法家の理想だと述べつつ、それについて「物我の一体性すなわち万物と自己とが根源的には一つであることを認める態度につながるものである」とした卓見だけを紹介しておく。実際、内観の面接に携わっていると、このことを感じさせられることが少なくない。たとえば、前号に筆者が紹介した二つの事例(紙数の都合で詳述できないが、興味のある方は本誌の前号に掲載されている拙論を参照いただきたい)は、まさに夕陽と台風という自然(しぜん)の力を背景に内観を深めており、自然(じねん)モデルの典型例のように思われる。
このように一口に心理療法と言っても、単純に「病気を治す」とか「症状を除去する」ものだと思っていると、たとえば石井のように「内観療法は内観あるいは内観法の一部」だと考えてしまうことになる。
確かに、医学モデルや教育モデルに限れば、そう言えるかも知れないが、河合が述べたように心理療法には4つのモデルがあることを知れば、そう単純に言い切れないものがあろう。
ところで、心理療法としての内観療法に4つのモデルを想定するとして、内観法については、いったいどのように考えればよいのだろうか?
そこで、内観法の創始者・吉本伊信の「内観」についての考えを見ておく必要がある。
真宗研究第十二輯に寄せた「内観について」という論文の中で吉本はこう述べている。
「人間は他の動物に比べて何故深刻に悩み、悶えるかと言えば『計らい』と言う無明の闇に閉ざされているからではないだろうか?」と述べたのに続き、その計らいについて「自我の迷蒙と言い直してもよく、『おれがおれが』と言う奴であって、雲やガスの如き物かも知れない。そこでこの恐ろしい無明業障の病である『はからい』なるものをいかにして取除くか、少しでも減少させるかが大問題であるまいか。」と説き、さらに内観法の真髄を示すために自身の悟り体験を踏まえて、次のように述べている。
「最も近道は自己の罪を自覚することが小我を滅する最短距離であるがその罪悪を知る手段として反省のトレイニングが必要となって来るのである。はからいの消去された心境を悟ったとか、一念にあったとか、大悟徹底したとか、または入信した『後生の夜明けが出来た』とか呼ばれている内容と似ている」と。(発行年不詳)
この吉本の言葉から内観法について考えるとき、「症状の消去」や「問題行動の修正」といった医学モデルや教育モデルには馴染まないように思われる。実際、吉本は内観によって病気が治ったとしてもそれは内観の本道ではないとして、ことさら公言することを戒めていたということなので、そもそも内観法を医学モデルとしては考えていなかったのではないだろうか。
ところが、医療の場に内観が取り入れられるようになって、これまで内観法が公言を憚ってきた療法としての内観がにわかに注目されるようになった。
とりわけ、日本内観学会が設立され、とくに「病気への適用」が言われるようになったことがそれに拍車をかけたように思われる。
Ⅳ、むすびに代えて
ここに紹介するエピソードは、当日の発表の際には、冒頭に述べた。
ある日、予告もなくひとりの青年が内観研修所を訪ねてきた。内観を勧める人がいたので見学にきたのだという。青年が内観について説明を求めてきただけでなく、研修所の施設見学を希望したために、およそ1時間近く応対することになった。
そして、話しの中で、その青年には主治医がいることがわかった。また、高校時代の不登校から立ち直って、現在は、大学へ休まず行っており、安定した生活を送っていること、しかし、そのまま社会へ出るのが不安なので、ぜひ学生の間に、自分自身を見つめてみたいと考えていること、等々が語られた。青年の話しを聴いただけでも内観意欲がよく伝わってきた。
ただ、筆者は青年がまだ服薬を続けていて、月に一度は精神科に受診していると言うので、それならば、今度、受診したときに、主治医と相談するよう勧めた。筆者自身の心理臨床の経験からして主治医との連携は、今後のためにも必要だと思ったからである。
ところが、一週間後に再訪した青年の口から聞かされた主治医の言葉には落胆させられた。
「内観?胡散臭いなぁ、やめた方がいいぞ!」と、その一言で青年は内観を断念した。誤解のないように言っておくが、もし、主治医が青年の病状あるいは現在の安定を慎重に見守りたい、という理由から内観を控えさせたのであれば、筆者の落胆はなかったであろう。
かつて、精神療法という言葉が「科学的な技術とは縁遠い、なにか呪術に似た印象」を持たれていた時代があったことは、既に述べたが、今なお、内観研修所においてなされる内観法に対して懐疑的な精神科医がいることに対する落胆なのである。少なくとも、筆者の病院時代には、経験しなかったことである。改めて、これまでの筆者の内観臨床は、病院という科学的装いに護られていたに過ぎなかったことを思い知らされた。おそらく、内観法の原点を辿るとき、誤解と偏見に遭遇したエピソードは、枚挙にいとまがないであろう。
そして、今更に、吉本伊信の苦労が忍ばれる。そうやって考えると、現在の本学会会長である竹元隆洋が学会の設立を呼び掛けたことの意義は大きかった。
確かに、いまなお内観を胡散臭く思う人がいることは事実であるが、少なくとも学会が設立される27年前に比べれば、社会的な信用度は比較にならないものがあるように思われる。
筆者にすれば、落胆事件を経験したばかりだったので、その意義を痛感した次第である。
そこで、「現在においては、医学の領域をはるかにこえてしまった」と言われる心理療法にあって、内観療法もまた例外ではない、という経験をしてきたので、そのあたりの考察を試みるつもりである。他日と言わず、できれば来年の第27回・神戸大会をその機会にしたい。
(本文は、内観研究第10巻第1号 2004年5月15日発行から転載しました)
参考文献
1)真栄城輝明:「内観」をめぐる小考察 内観研究 Vol.9 No.1 2003,5,10 p35-41
2)石井光:内観療法「個人史と内観療法」安田生命社会事業団2000,東京
3)三木善彦:内観療法入門―日本的自己探求の世界―創元社1976, 大阪
4)吉本伊信:内観法と私 第一回内観学会発表論文集 1978
5)吉本伊信:内観について 真宗研究第十二輯 年代不詳
6)片口安史:改訂 新・心理診断法 金子書房 1987, 東京
7)河合隼雄:心理療法序説 岩波書店 1992, 東京