平成18年7月30日(日) 奈良県断酒連合会34周年記念大会記念講演
「内観療法の現在-吉本伊信の生涯を振り返りつつ-」
大和内観研修所所長 真栄城輝明
はじめにー影武者が一人もいないのにびっくり
みなさんこんにちは。高橋さんご丁寧な紹介ありがとうございました。
それでは早速始めさせていただきます。私に与えられた時間は40分ということですので、その時間内でお話できることをこれから始めたいと思います。
私もいろんな断酒会へこれまで幾度となく出席してきましたけれど、私が郡山の市民になったのが2000年ですから、本来ならば大抵招かれると「お招きいただきましてありがとうございます」というのが挨拶なのですが、どうも身内なのか、呼ばれたのか、会場には県外からも来られているようだし、どう挨拶していいものか戸惑っております。地元郡山の市民になって、この立派なホールでお話させていただくことを大変光栄に思っております。
それにしてもいろいろ断酒会に参加してきましたけれども、今日は最初の奥村会長さんの挨拶がそうさせたのか、普通でしたら来賓の方はたいてい影武者が多いのですね。
市長さんが挨拶、本人でした。びっくりしました。市議会議長も本人でした。衆議院議員から始まって、参議院議員、県会議員、全員本人で影武者は一人もいなかった。それがどういう意味なのか、先程から座ってずーと考えていました。少なくとも私がこれまで参加した中では、ほとんど影武者の方ばかりでしたので、ご本人の話を伺って「ああ、なる程、単なる来賓ではなかった」と思いました。来賓の中にはACと思われる方が挨拶されていましたね。父親のアルコール問題を話していましたが、自分の悩みを打ち明けにきたようなもので挨拶というより、ここでみんなに自分の胸の内を語ることによって、癒されて、今日は帰られたように思います。影武者では、癒されることはないでしょう。来賓の方の一人ひとりの挨拶を聞いてそんな印象を持ちました。この会は癒す力を備えていると言ってもよいでしょう。
生きづらさの原因は欲望にある
さて、今日お話しする内観、まさに自分に向き合う心理療法として現在あります。今日いただいたテーマ、大会テーマは、「生まれ変わる」。サブタイトル「生きづらさの原因(もと)は」というテーマをつくられています。それをもとに考えて、この演題にさせていただきました。
じゃ、生まれ変わる、生きづらさの原因(もと)はなんだろうか、大会テーマを通して私が話しをするにあたってそれについて考えてきてくれとの宿題を頂いたようなそんな気がしておりましたので最初に大会テーマを解題していこうと思っています。
ご存知の方も多いと思いますけれども、現在、心理療法は世界に400種類もあると言われています。その中で森田療法と並んで内観療法はわが国で出来た心理療法として世界にといって言い過ぎでないと思うのですけれども、アジアはもとよりヨーロッパに輸出している心理療法です。
この内観の特徴は、元々仏教、仏教の教えの中から生まれました。欧米で生まれてきた心理療法が、例えばキリスト教をバックボーンにして生まれてきたのに対し、内観はルーツをたどると仏教にいきつく訳です。今日、生きづらさの原因はと言うことを考えるに当たって、少し宗教、仏教、釈迦の言葉を紹介しながらやっていきたいと思います。
みなさんご存知のように、生きづらさの原因は苦しみにあります。苦しみの原因は欲望であると釈迦は教えています。釈迦によれば「生老病死」「愛別離(あいべつり=愛する人との別れ)」「怨憎会(おんぞうえ=恨み憎しむ人と会うこと)」「求不得(ぐふとく=欲しいものが手に入らないこと)」「五陰盛(ごおんじょう=五蘊(ごうん)が盛んなこと)」など四苦八苦と言われる余りにも有名な仏教から出た言葉。
釈迦は苦しみの原因を欲望だと言って欲望を三つに分けた訳です。欲愛。お金が欲しい。酒が飲みたい。女が欲しい。名誉が欲しい、これみんな欲愛。
欲と言うのは満たせば満たすほどエスカレートしていく。会場の中が暗くて見えないのですけれども、今日、女性の方で素敵なイヤリングやネックレスをしている方はいます。ある宝石協会が調べた結果ですけれども、宝石と言うのは持てば持つほどもっと欲しくなると言われています。素敵なネックレスが手に入ると、それに合うイヤリングが欲しい。そうなるとやっぱり、それに合う服も欲しい。服を新調すると服に合わせて靴が欲しくなる。そこまで綺麗にすると駅の屋台で食事をする訳にはいかない。この服に合った素敵なレストラン、ホテルなどに行って食事がしたい。と言う風にどんどんエスカレートしていく、これが欲望の性質です。皆さんがよく知っています。飲めば飲むほど欲しくなる。一杯では止まらない。どんどんエスカレートしていく飲酒欲求に振り回され辿り着いた所が、先程の体験談では植松クリニックであったようですね。
じゃこれをどうするのか。内観はこう教えるのです。内観をしていくと、足ることを知る。つまり知足ですね、現状に満足できるようになる。今日は余り時間がありませんので細かいことは言いませんが、改めて書籍などを読んでいただけたらと思います。
とにかく、この欲愛というものに我々は振り回されています。何もアルコール依存症だけではないのです。買い物依存症の人、薬物はもとよりギャンブル、こういった人々の欲望を掻き立てていく、こういう題材がこの世には満ちています。
存在を認めてもらえない時、人はもの凄い不安に襲われる
それから2番目。愛が有ると書いて「ゆうあい」とでも読みそうですが、仏教では「うあい」と読むそうです。いわゆる存在感、西洋の心理学ではアイデンティティと呼んでいます。このアイデンティティにもポジティブなアイデンティティとネガティブなアイデンティティがあります。我々は、この仕事をしているとむしろネガティブアイデンティティを持ってこられる方とお会いすることが多いのです。
例えばある暴走族を取材したルポライターの斎藤茂男さんは、「妻たちの思秋期」という本を書いた人ですが、この方が東京で暴走族を取材して、暴走車に乗せてもらったそうです。彼らは昼間、工場で黙々と働く自動車整備工でした。そういう若者が土曜日の夜になると集まってきて、あの東京の環状7号線をぶっ飛ばすわけです。普通の車と一緒に走りません。わざと逆走する訳です。命懸けです。
それに彼は乗せて貰って気がつきました。歩道橋には人だかりがいて全員が注目し、中には拍手をして彼らを迎える。そうするとますます生き生きとしてきて、どんどんぶっ飛ばす訳です。一緒に乗っている斎藤さんは恐くて目が開けておれない。ところが彼らは生き生きとしている。目がらんらんと輝いている。つまり、ネガティブアイデンティティと言うのは、ここに僕がいるのだ。「山田太郎は俺だ」と彼らは叫びたい訳です。自分の存在感を暴走することによって確認している訳です。
実際に私がある中学校でスクールカウンセラーとして関わってきた学校一番の悪がいたんです。学校では有名です。私はその日は午後からの出勤でスクールカウンセラーとして出て行きました。ちょうど給食の時間が終わって、廊下のところで大きな声がするんです。生徒が若い教師の胸ぐらをつかんで殴ろうとしていました。そこへ体育の2~3人の先生が後ろから羽交い絞めにして「止めろ!なにやってるんだ!」。少年は、「こいつが俺を階段から突き落とそうとした。だから殴ってやる」と言った訳です。
この少年は時々カウンセリング室で話をしている仲でした。「彼と二人っきりで話させてくれ。先生達悪いけど、私に任せておいて下さい。」と言う事で彼をカウンセリング室に呼んで話を聞いた。それから殴られそうになった新しい赴任してきたばかりの、その先生にも話を聞きました。分かったことは、こういう事でした。
A少年としましょう。学校中で一番の悪です。彼は学校に給食を食べに出てくるだけで授業には出ません。茶髪にピアス、シンナーも吸っています。恐喝だってする。教室には先生たちが入ってはいかん。彼が登校してきた時には、A君係りと言うのが職員室には、黒板に月曜日は誰々、火曜日は誰々先生……ずっと金曜日まで書かれていて、午前中は誰、午後は誰。もし午前中に出てきたら誰先生が……。その日の担当は、子供たちがナポレオンと呼んでいる先生でした。その先生熱心ですけれども、まだ教師1年生。今日は僕の担当日だ。後で聞いたらあいつが出てこなければいいなあとひそかに思っていたそうです。そしたら彼が出てきました。職員室を挟んで長い廊下、彼が学校に入ってくるのが見えた。
みなさんも経験がないですか?スーパーで買い物をしていて嫌な人に会って、急に用事を思い出してバックしたことがありませんか?たいていの人は、会いたくない人、嫌な人に会うと用事を思い出すのです。ご主人が帰ってくると用事を思い出して玄関に出ない奥さん、いますよね。その日少年が出てきた時にその先生は、くるって、まっすぐ歩いていけば彼と会うんだけれども、用事を思い出したと言って反対の方向へ……。彼はいつも出てくると担任の先生、体育の先生、生徒指導の先生、この3人は「お前、今頃出てきてなにやっているんだ、ばか者」と言うのが対向一番の大抵の挨拶でした。すると彼は反抗する訳です。
そういうやり取りがA君と教師との間で最初に交わされる言葉。その日も彼はなんと声をかけてくるのかなあと期待しながら職員室の前の廊下を歩いて、「今日はナポレオンが俺の担当か」と思ったらしくてなんと声をかけてくるのか楽しみにしていた。ところが、くるっと振り向いていなくなってしまった。姿を消しちゃった。彼が階段を昇って教室に入ろうとしたら、教室に入られたら困るので、その先生が追いかけてきた。追いかけて彼が階段を昇ったら一緒に付いてきた。彼が降りるとまた付いてくる。距離をとって歩いていたけれども、彼が振り向いた時に体がぶつかったのでしょう。それを言いがかりにして、「こいつは俺を階段から突き落とそうとした」と叫んで胸ぐらをつかんで殴ろうとした。
少年と私はもう何度も面識がある。カウンセリングルームは絨毯にしてありましたので彼はいつも入ってくるとソファに座らず絨毯に横になって、彼が横になるから私も一緒に絨毯に横になって話しをする。そういうカウンセリング、寝ながらカウンセリングをする。彼の仕草をじっといつも見ていて、絨毯の材質はふわふわしています。彼はいつも同じところに寝そべって、いつもお母さんの肌を求めるかのように触るんです。だからここだけ穴が開いている。愛情に満たされていなかったのだなあ。実は彼はお父さんが酒乱で離婚をして母親に育てられている訳ですけれども、母親は忙しくて、彼を育てる為に朝の食事も作れない。昼、学校に行って食べる給食だけが彼の食事。お母さんは朝も昼も夜もずーと、働きづめ。子供の為に頑張っているんだけれども彼は淋しかった。
彼と話をしていて、彼はふと、その日初めて事件のあった日、大きな涙を浮かべてこう言ったのです。いや、彼が涙を浮かべる前にこう言ったのです。「あいつ、ナポレオンが俺を突き落とそうとした」と言うから、私は「ナポレオン先生に先ほど話を訊いてきたけど、あの先生は君を突き落とそうとしたわけではないと思う」と彼に言いました。「だけど、よく聞いいてみると、どうも廊下で君と会ったらしいが、その時、急に用事を思い出して、引き返したと言っていた。たぶん君は、あの先生から声をかけて欲しかったけれども肩透かしをくらった。その時ちょうど階段から突き落とされたかのように、感じたかも知れないなぁ」と言ったら大きな涙を落とすのを始めて見ました。彼は私のことを「おっさん」と呼ぶのです。「おっさんいるか」と言って入ってくるのです。「おう、おっさんいるぞ。入れ」と言って彼と対応してきた。
彼は体育の先生や生徒指導の先生や担任の先生が僕を叱る時ほっとする、と言うのです。彼が一番辛いのは、無視されること。怒りがぐっとこみ上げてくるらしい。無視される、存在を認めてもらえない時、人はもの凄い不安、そして心穏やかではいられない。これには後日談があります。彼は中学校を卒業して工事現場で働くようになりました。屋外での仕事なので雨の日は休み。ある日曜日の雨の日、私は息子が所属する少年野球のコーチをしていましたので、子供たちを連れてバッティングセンターへ。そこへ偶然にも彼が来ていたんです。学校ではおっさんと呼んでいたのに、卒業して会ったら向こうから声を掛けてきて「先生!」と言うんです。びっくりしました。「今日は雨なので休み。オレ就職したよ」。そしてなんと、「中学校時代にはお世話になった。初めて給料を貰ったのでおごるから、先生、自販機から好きなジュースを選んでくれ」と言ったんです。120円でしたかね。嬉しかったですね。こんなおいしい、ジュースを飲んだことはありませんでした。もちろん、どんな高い酒よりもずっと旨い。
私が嬉しかったのは、ジュースを貰って嬉しかったのではなくて、スクールカウンセラーとしての私を彼が認めてくれたことです。私自身が非行に走っている子供たちに関わって、彼らが存在感に餓えている事を知っています。彼らからおっさんと呼ばれて近寄ってきてくれるだけで嬉しいのに、卒業後も私のことを覚えていてくれたことは、もう何とも言えないくらい嬉しい。
ネガティブ・アイデンティティというのは、行動自体は確かに良くないです。無免許で単車を暴走させたり、万引きしたり、色々しますけれども、彼らの心の底にあるのは自分の存在を認めてくれ、僕はここにいるんだぞ、という心の叫びなのです。それにどう応えるか、難しいところです。
こんな服装はダメだ、茶髪は良くないから止めろ、と言ってもそれだけじゃ解決しない。よく断酒会へ初めて新入会員が行った時、古い会員が「山田さん良く来たなぁ」「高橋さん良く来たね」なんて声をかけてくれただけで嬉しかった。あの会へもう一度行こう。会長さんに握手までして貰った。そういうことで繋がる仲間は結構います。ところが最初に行った断酒会で無視された。声も掛けてもらえなかった。もう行く気がしません。
存在感、アイデンティティ、仏教で言えば有愛(うあい)、つまり存在への欲求というのは、人間にとってとても大事です。
存在への不安、死への衝動にいざなわれて
欲求の三つ目はなかなか理解しづらいかも知れませんが、無有愛(むうあい)。フロイドと言う心理学者は、それをタナトスと名づけました。
聞いたことがありますか?死への欲求と言ってもいいのです。アルコール依存症の人と付き合っていると、よく「好きな酒を飲んで死んだら本望だ」「自分の金で飲んで何が悪いのだ」、「これ以上飲むと命を落とすよ」「好きな酒を飲んで命の一つや二つ落としても本望だ」、彼らの話を聞いていると死ぬことに惹かれている。アルコール依存症の人達を慢性の自殺者と呼ぶぐらいですから、彼らはまさに、多くの場合彼らと言うより皆さんはと言ったら良いのでしょうか……。
太宰治、彼は薬物依存症でした。実は私が東京にいた頃、彼が東京武蔵野病院に入院していた事があると婦長さんに聞いた事があります。私は太宰に会った事はないのですが、そこにカルテがあって太宰が入院していた病院にご運を頂いた事があるのです。
その病院に数年いました。それがきっかけで関心を持って色々彼の作品を読みました。本名は津島修治、青森県金木町の出身で、お父さんは貴族院の国会議員でした。なぜ太宰治とのペンネームをつけたのか色々調べていて、この説を私は、大変気に入っているのです。太宰は、ドイツ語でダーザイン、日本語で言うと現存在。彼は存在の不安に脅えていた。実際、子供の頃から両親が自分の本当の親ではないのではとの幻想に駆られていた。よく聞いたのです。本当にお父さんとお母さんなのか。いつも彼は存在の不安を抱えていました。彼の作品を一貫して貫いているのは、私は太宰が絶えず死んでしまいたいとの欲望に囚われていたと言うのが、作品を読んだ感想です。
宮沢賢治は、同様にいつも他人の為に、まるでACのように、自分の命を掛けてでも他人の為に、人の為にと訴えてきました。今日、奈良県断酒連合会が34周年の大会テーマにどうして「生きづらさの原因はなんだろうか。生まれ変わるには」と言う大会テーマを掲げたのかを聞いてはいませんけれども、頂いた大会テーマを通して感じたことを先に述べさせて貰いました。
内観をすると共感性が高まる
いよいよ本題に入っていきます。内観とは、吉本伊信が読んで字のとおり、「内を観る」事だと言いました。目的はどんな逆境に苛まれようとも感謝・報恩の気持ちで暮らせる。そういう心の住処に大変換、つまり生まれ変わる、これが内観の目的です。
方法は、今日は時間の都合で詳しくは話しません。相手の立場に立つ。その方法として相手から「してもらったこと、して返したこと、迷惑を掛けたこと」これを調べていきます。
私自身内観と出会って、今大和郡山の市民になって、2000年からここに住まわせてもらっていますが、なぜ私が吉本伊信のあとを継ぐようになったのか、もう何人もの方に聞かれて、最近はご縁としか言いようがない。ご縁ですとお答えしているのですが、ひとつはアルコール依存症の方々にそのご縁を作って頂いたこと、それははっきり言えるんです。
何しろ病院に就職した時アルコール治療チームに参加するように言われ、じゃ臨床心理士として何が出来るかと考えた時に内観があった訳です。早速郡山に来まして見学させて貰って、私自身も内観を体験しました。元々西洋の心理学を学んできたんですけれども、これまでのものとは一味違うと言うのが第一印象でした。
色々とありますけれども、今日はひとつだけ内観によって私が鍛えられたと言いますか、磨かれたと思うのは共感。西洋の心理学、ロジャ-ス先生はカウンセリングは共感することが大切だと言いました。いくら本を呼んでも分からなかったが、内観をして良く分かりました。内観体験後、私が体験した事です。小学校1年生の女の子のお話をしましょう。
この1年生は、私が小学校へスクールカウンセラーとして行った時、校長先生から朝礼で、1年生から6年生までいるので1年生にも6年生にも分かるように挨拶して欲しい、自己紹介をして欲しいと言われて、私はこんな風に挨拶しました。
挨拶をする前に運動場を走っている子供たちの所に行って、朝礼の前に早速行って声をかけました。6年生の男の子たちが遊んでいました。名札を見たらT君。「T君、カウンセラーって知っている?」と聞いたら、S君が「僕知っているよ」。「どうして知っている?」「ゲームに出てくる」「そうか君のゲームにカウンセラーが出てくる」「そうだよ、元気がない時、そいつのところに行くとパワーアップするんだ」と言いました。それ、いただき。早速朝礼で、「私はカウンセラーです。今日から来ました。カウンセラーのところに元気のない人いらっしゃい。パワーアップできるずだから」、そういう挨拶をしました。
そしたら次の時間、早速1年生の女の子が、「先生、ウサギさんが可哀相だから来て、元気がない」。私女の子に手を引かれてウサギ小屋に連れて行かれました。行ったら子ウサギが元気ないんです。しかも悲しそうな目をしていました。真っ赤な目をしていたんです。で、女の子がウサギさんにこう言ったのです。「どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの。きっと昨日の夜もお父さんがお酒を飲んできて、またお母さんを殴ったのでしょう、ウサギさん」。私はそれを聞いてはっとしたんです。そうか、この子のお父さんもアルコール依存症か、自分の家で起こっている事をウサギさんに託していたんですね。スクールカウンセラーとしてお父さんと会い、アルコール治療をしている私の病院に来てもらって治療しました。その子の話をすると時間が無くなりますから省きますが、つまり共感とは相手の立場に立つ、そういうことです。
内観を精神衛生に関わる方々、援助職の方、精神科医は勿論、ケースワーカーや看護師さん、臨床心理士、心療内科医、対人援助をする職業に就いている方にはぜひ内観を薦めたいですね。
自分の事を知らずして患者さんのことを理解できない。自分をまず知って、それから患者さんの援助をする時に初めて効果が現れます。内観をすると共感性が高まりますから、アルコール依存症の人は、心と反対のことをよく言います。たとえば「酒なんか止めないぞ」と言っている時は、「止めたくてしょうがない」と言っていることがあって、そこにチャンネルを合わせて話を聞いていく。それが共感的態度だと思います。
吉本伊信と内観療法の現在(スライドで説明)
内観と吉本伊信の生涯のお話を簡単にざっとお話します。吉本伊信は、この大和郡山市で生まれました。彼は昭和12年、4度目の身調べで、悟りを開かれ22歳でした。そして昭和28年に内観道場をこの地に開設しました。最初は内観道場でしたが、昭和32年には内観教育研究所になりました。そして昭和53年に日本内観学会が設立、10年後の63歳で亡くなっております。平成6年になって、日本内観学会や国際内観療法学会、国際内観会議、国際学会が内観関係で二つもあります。現在の内観はどんどん外国の方が認めてくれてヨーロッパにも内観研究所が出来ています。上海には、上海精神衛生中心という中国の精神医学会をリードする上海第二医科大学の精神科単科の附属病院があるんですけれども、そこでは内観療法室まで作ってアルコール依存症の治療に役立てています。詳しいことは割愛します。
さて、スライドを順々に示していきます。これが幼少時の吉本伊信、5歳の時。それからキヌ子夫人の女学校時代です。これが古い吉本伊信がおられた頃の内観研究所です。私も2年間、2000年から2002年までこの古い建物で内観面接をしておりました。これが当時の応接室。そして当時の法座。屏風が立ててあって、その中を法座と呼んでいます。
内観中の様子です。私は吉本伊信の下で内観を体験した後、最初は八事病院に内観を導入しました。但し、ここと同じような方法ではなくて、八事病院では分散内観と言って、1日1時間だけアルコール依存症の方々に毎日屏風の中で内観をして記録をしてもらう記録内観という方法をとっていました。次に移ったひがし春日井病院では、内観療法室を作ってもらいました。ここと同じような集中内観を病院の中に取り入れました。「内観すると赤字が出るんですけれど」、と院長に言いました。すると、院長は「内観で稼いで貰わなくて良いです。内観によって治療成果を上げてもらえば、病院のイメージアップになるはずだから、そうしてください」と、そう言われました。
このスライドがひがし春日井病院です。この中にもこの病院で内観を体験した方がいます。Sさんの顔が見えていましたけれど、どこですか?あ、見えましたね。Sさんが。懐かしいでしょう。あなたが内観した場所です。これは病院の職員をモデルにおねがいした内観中の様子です。内観療法室は内科病棟の一角にありました。そこだけ和室にしてトイレも中に作りまして、扉も二重にして遮音性を確保しました。こうやって内観をします。食事は看護婦さんが運びます。末期癌の方も内観をしますので酸素の準備がしてあります。余命を宣告された方は、死を問い詰めて内観をします。なぜアルコール依存症に内観がふさわしいかというと、彼らはあの世に一番近いからなんです。平均年齢53歳でしたか?ここで笑っている方が帰りに亡くなるかも知れない。これが、内観療法室のトイレ。これは中国の、先程紹介した上海精神衛生中心の王教授が見学に来られたときのスライドです。中国の病院で内観を導入するに当たって、ひがし春日井病院のやり方を見学に来られたんです。断酒の集いにも出席してもらいました。そして、次のスライドですが中日連合内観療法研究会が1994年発足しました。これは上海空港で撮った記念写真です。
2002年1月に新しい大和内観研究所が出来ました。ざっと観てください。現在の大和内観研究所です。こういう風になっています。これがかつて応接室と呼んでいましたけれども、内観だけでなくカウンセリングもおこなうようになりました。アルコール依存症だけでなく、覚醒剤、薬物依存症の人達の家族療法、個人療法、もちろん内観を中心にした内観カウンセリングと私が呼んでいる方法で対応させて貰っています。1階は男性の方の内観室です。これが、1階の洗面室、脱衣室、お風呂。そして2階が女性です。これがタバコを吸う所です。喫煙室は1階と2階の両方にあります。次のスライドは、中国の医者が内観に来たときのものです。座っている方は通訳です。通訳を挟んで女性のスタッフが面接をしています。女医さんも内観しました。この方は心理学の教授です。蘇州大学の大学院の教授、日本に来られた時に内観を体験しました。これが会議室と称して、ここで集団療法などをやっております。さて、時間の制約のため大急ぎで紹介しましたが、内観を終えて帰る時、スタッフが門の前で見送っているのが最後のスライドです。
終わりに
内観者は内観後に短歌や俳句を作ったり、あるいは詩や絵を残したり、じつに色んな作品を残してくれます。色々紹介したいのですけれども、ちょうど時間になってしまいましたので、森川リウさんが遺した「道のうた」を紹介して終わりにしたいと思います。森川リウさんは、キヌ子夫人の母親です。吉本伊信が絶賛した熱心な内観者でした。生きている時にノートの切れ端に書き遺したのが亡くなった後、見つかったのです。その中に内観をして辿り着いた心境が記してありました。ご紹介します。
「これから通る 今日の道 新しい道 通りなほしの出来ぬ道」
「苦しいことから逃げていると 楽しいことからも遠ざかる」
「金は重宝なもので 神通力がある ところが 金を我が身の攻め道具にする人がある」
「豊かだから与えるのではない 与えるから豊かになる」
ご静聴ありがとうございました。