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学会印象記

【第一回韓国内観療法ワークショップ印象記】

 
カムサハムニダ! シェーシェ! ありがとう! 
 
 立命館大学大学院応用人間科学研究科  橋本 俊之


平成十八年十月二十日に韓国・ソウルで行われました、記念すべき第一回韓国内観療法ワークショップに参加させていただきました。
 はじめての韓国です。平成十八年八月、大和内観研修所にて二度目の集中内観を受けさせていただきました。座談会が終了しまして、ご挨拶申し上げた際、真栄城輝明先生から「十月に韓国で内観のワークショップがあります。韓国、中国からたくさん参加されるようです」という言葉がありました。私にとって韓国は「近くて遠い国」です。行きたいけれども、縁がないと感じていたのですね。でも、集中内観直後の私はとても素直になれました。「このような縁を大事にしたい。このような機会でもないと、もしかして一生韓国に縁がないかもしれない」と思いまして、参加をお願いした次第です。
 ワークショップの前日、韓国・仁川空港のロビーに降り立ちまして、当然のように日本語が姿を消しているのに驚きます。でも、不思議と異国にいる感じがしませんでした。ソウル行きの循環バスに乗り込みます。全然、日本と違いますね。車内に漂う雰囲気がとってものんびりしています。車掌と乗客が言葉をたくさん交わしています。乗客同士がお喋りを楽しんでいます。携帯電話でお話をしていましても、本人も周囲も特に構えるところがありません。とてもゆったりと居心地がよくて、そのまま眠ってしまい、気がついたら空港に戻ってきてしまいました。私の韓国はこのような体験からはじまりました。
 ワークショップ当日です。会場の前に「心理治療法(ハングル)内観」の横断幕が会場前の道路に掲げられていまして、「いやあ、すごいなあ」と思いつつも、関係者だけではない、一般の方の主体的な参加も可能であることをお伝えするスタッフのあたたかい配慮を感じました。会場に入りますと、ハングル語、中国語、日本語、英語と、様々な言語が存在しています。ワークショップ会場でありますソウル・カトリック出版社会議室には、八人が座れる丸型のテーブルが十二ほど用意してありました。参加者は中国からは上海精神衛生中心・王祖承教授とそのスタッフの精神科医を中心に十七名、日本からも各内観研修所所長を中心に十三名、そして、韓国から大学、教会、精神医療関係者、一般の方々も併せて、百名前後の方が参加されていました。私は今回、日本内観学会理事長の巽信夫先生と副理事長の石井光先生、その他の内観研修所の先生方ともはじめてご挨拶を交わしました。また、韓国、中国の先生にも、日本語と不慣れな英語で自己紹介をさせていただきました。
最初に驚いたことがあります。ワークショップの参加費用について、スタッフの方に確認したところ「学生は無料です」と仰っていただきました。韓国では学生は国の宝であり、その学生からどうしてお金をとる必要があるのかという考え方が強いと伺いました。若い人材を育てようとする姿勢があります。残念ながら、今の日本ではあまり考えられないことです。本当にありがたいと思いました。
 ワークショップがはじまります。最初に石井光先生から「内観の紹介」がありました。お話の間に約十分間、参加者全員に「小学校低学年のときの母に対する自分」についての内観の体験が行われました。「人生をとめてビデオテープを巻き戻すように」という言葉に促されて、目を瞑り静かな、あたたかい時間が流れていました。
 おもしろい「間」もありました。プログラムはきっちり組み込まれているのですが、スタッフの方がそれに縛られることもなく、状況に応じて、場を和ませるようなスピーチを入れてくれました。そのおかげで、日本の会議のような堅苦しいような緊張感もなく、時間が経つにつれて、場になじんでいきます。
 続いて、巽信夫先生から「内観療法の有効性」の講演がありました。全人医療及び生涯発達的観点からの内観の考察という貴重なお話です。印象に残ったのは、三カ国の方が参加されていますので、日本語の講演を、ハングル語、中国語に通訳の方が翻訳されます。語った言葉がきちんと伝わっているかどうかを、何度も確認されて、苦心されている巽先生の姿がありました。これが三カ国の、国際的なワークショップの醍醐味です。言語がそれぞれ違いますので、「相手にどのように伝わるか」が尊重されます。そのため、ご自身の言葉に対する自分を常に内観されながら語られているように伺いました。
 昼食に入ります。会場に隣接されていますフロアにバイキング形式で韓国料理が振舞われます。たっぷりいただきました。日本では腹八分といいますが、韓国では食欲が進んでしまって腹十二分でした。最後にはお腹が少し苦しかったですが、韓国の料理は不思議ですね。時間が経てば、あれだけお腹がいっぱいだったのにすぐにお腹が空いてしまいます。日本では珍しいお米で作られた甘いジュースもとても美味しかったです。
 昼食時のランチョン・セッションでは、榛木美恵子先生から「内観の歴史」について、主に内観法の創始者である吉本伊信先生の生涯を中心にご紹介がありました。吉本先生のユニークな部分、自由な、陽気な吉本先生がスライドを通しながら表現されていまして、私の知らない吉本先生がたくさん存在しています。私にとってもあらたな発見でした。
午後に入りました。予定されていました高口憲章先生が所用のため欠席されました。そのため、藤原神父が代理を務められました。藤原神父はとてもおもしろい方でした。いきなり「皆さん一緒に体操をしましょう。皆さんの上に百万円あります。今度は五百万円です。さあ、手を伸ばしてとってください」ずっと座っていた体の硬さがほぐれていきました。そして「聖書の教えと自分の人生を吟味すること」という言葉が続きました。それにしても、神父が内観をされているのですね。お恥ずかしいことですが、はじめて知りました。内観は日本の仏教から生れたものですが、もはや日本だけではなく、そして、もはや仏教だけではないのですね。本当に幅広い領域で、幅広い人材によって、内観が実践されているのだなとあらためて教えていただきました。
藤原神父が中心となりまして、韓国でも最近、集中内観が実施されたことが紹介されました。体験者は語ります。ご本人の「内観をすれば必ず長生きをして天国に行くことができる」という力強い言葉と、ご本人の奥様の「主人が別人のようになりました」という驚きの言葉が、内観における自己変容を物語っていました。
続きまして、中国の上海精神衛生中心・王祖承教授より、上海での内観療法の歴史と現状の報告がありました。中国の上海では、昨年に国際内観療法学会が開催されました。アルコール依存症の患者の治療として、内観療法が有効であると、同センターを中心として活発な研究と実践が行われていると伺っています。けれども、あらためて驚きました。既に十年以上前、一九九四年に王教授は内観療法に注目されて来日し、内観研修所を視察されています。そこで得られたものを祖国に帰り、治療に導入し、時間をかけてじっくりとその種を育んでこられた熱意と努力に頭が下がる思いでした。王教授は懇親会でも私のような学生の話に熱心に耳を傾けていただき、気さくに「ぜひ上海精神衛生中心を訪れてください」と声をかけていただきました。シェーシェ。その一言しか浮かびませんでした。
真栄城輝明先生が講演の最後を締めくくりました。藤原神父の代理出席に敬意を表して、聖句を引用しつつ、キリスト教と仏教の考えを対比させながら、内観療法のエッセンスについて話されました。その際に、イソップ物語を題材にして、仏教的な「あきらめること」の意義について、おもしろく解説されていました。終盤に先生の体験の一つとして「カレーライスの少年」のお話があったときに、不思議な出来事がありました。ユーモアを交えた話によって笑いが起こり、その余韻で若干騒がしかった会場が突然静まりまして、その少年の体験に対する自分を、参加者一人一人が内観している雰囲気が存在していたのです。「言語の世界を超えたいのちのつながり」というものを強く信じてみたい時間と空間がありました。
最後に質疑応答の時間です。これまで講演された先生方だけでなく、竹中哲子先生と西山知洋先生が回答者に加わりました。前に韓国の参加者の方を中心に活発な質問がありました。「内観療法と他の心理療法との違いと優れていることは何ですか」「韓国の内観が活性化するためにはどうすればいいですか」「韓国でも定期的に内観が受けられますか、参加費はどれくらいかかりますか」様々な質問がありました。特に「韓国、内観の普及のために、少しでも安くしていただけるのでしょうか」という質問があったときに、先生方が深く頷かれている姿が印象的でした。「うん、やっぱり費用のことは大切なことですよね」私も率直にそう思いました。それにしても韓国の方の内観に対する熱意には頭が下がります。あとの懇親会で韓国の関係者の方は仰っていました。「韓国は変わってきました。急速に西洋化してきています。若い人を中心に。問題もたくさん出てきています。今の韓国には内観の導入が急務なのです」と。話は韓国のことなのですが、日本人の私にとっても決して他人事ではないことを、あらためて気づかされました。
これで、朝十時から夕方六時まで、韓国、中国、日本の内観関係者の記念すべき第一回韓国内観療法ワークショップが終了しました。
感じましたことを少しまとめてみます。日本での内観と韓国、中国での内観について、かなりその関心や注目が違うことが体感されます。日本で生れた内観療法なのですが、韓国や中国ではその関心がとても高く、比較して日本はなんとその関心が乏しいのだろうかと残念に思います。そして、韓国、中国、日本の各国では急速に西洋化の流れがやってきていることです。日本に比べると、私にはとてもアットホームな雰囲気に見えます韓国でも、藤原神父の「五年前とは全く違う国のようになってきた」というふうに、確実に変化しています。時代の急速な推移により、伝統的に育まれてきた大切なものがたくさん置き去りにされていきます。時代は止まらないのですね。けれども、そのような今こそ、「人生を一度止めて振り返る」ための内観が求められてきたのかもしれません。
私は二度集中内観を体験し、現在も週一回の通い内観と、毎日の日常内観を続けています。それはどうしてかなといろいろと調べているのですが、吉本伊信先生の「いつでも、どこでも幸せであるために内観をする」という言葉を思い出しました。やはり、私が内観をするのは、「心が豊かでありたい」ということなのかなと思います。自分自身の心が豊かであるために内観を続けることが根っ子にあるのですね。そして、石井光先生の「内観はまず自分が体験してみること」という言葉がありました。今回、日本の内観を指導されている先生方との懇親の機会をいただきまして、一人一人の先生が吉本先生との出会い、内観との出会いを、驚くぐらい克明に、そして、とても目を輝かせながら語られている姿がありました。ご自身の内観に対する体験があって、継続があるからこそ、その喜びがあるのですね。その喜びを吉本先生同様「世界に伝えたい」という新たな喜びが先生達の活力になっているのだなと思いました。
最後になりましたが、縁がありまして、この第一回韓国内観ワークショップに参加できましたことを、心から感謝申し上げたいと思います。国境を越えて学生を、若い人材を育むということで、このような若輩な私にたくさんのものをあたえていただきました。おかげさまで「近くて遠い国・韓国」が「近くて親しい国・韓国」になりました。朴会長と事務局長の李大云博士をはじめとしますスタッフの皆様、参加されました韓国、中国、そして、日本の関係者の皆様、ありがとうございました。韓国での内観の発展と、三ヶ国の内観でむすばれた縁がますます強く、深くなることを心より願っています。

カムサハムニダ。シェーシェ。ありがとうございました。
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やすら樹百号特集

スペシャル座談会



 平成二年四月三十日に創刊された本誌が百号を数えるらしく、記念の座談会が行われた。
場所は不明。その日は八月二日(ダブル・フールデー)であった。つまり、エイプリル・フール(四月一日)を倍にした日なので、実際に行われたかどうかはつまびらかでない。
どういうわけか、座談会の記録が手元にある。その傍らには、本誌の創刊号と「南無阿弥陀仏」(永六輔著)と「カウンセリング方法序説」(菅野泰蔵著)の三冊が重ねて積まれてあった。もとより記録者も不詳。ただ、タイトルと内容が面白そうなので、本号に紹介にしてみた。


「自己発見の会」の発足にあたって
司会 さて、やすら樹が百号に達したのを記念して座談会を行います。出席者のみなさんには交通費も謝礼も出ないというこの座談会に、お忙しい中を遠方から駆けつけて頂きましたことに対して、感謝の言葉もありません。
まず、「自己発見の会」の初代会長・吉本清信先生のお言葉を頂くことにしましょう。
吉本 道行く人にも内観を勧めたい、というのが父、伊信の口癖でした。私たち子どもには「内観の邪魔だけはしてくれるなよ」と、いつも言っていました。内観の普及を目的としたこのような会ができたことを父が一番喜んでいるはずです。生前の父の遺志を思い、この会が軌道に乗るまでの間、会長という役をお引き受け致しましたが、先ほど、なんと一六年も続いて、百号の記念特集号まで出されるとお聞きして感無量です。現会長の長島先生はじめ事務局長の本山先生など関係者の方にはほんとうに感謝致しております。じつは、私は診療所の医者をしておりますが、急患が発生したようなので、急いで診療所に戻らなければならなくなりました。大変残念ですが、失礼させて頂きます。


合掌について
司会 清信先生にはお忙しいところご無理を言って申しわけありませんでした。さて、本日は、多彩なゲストをお招きしており、紙幅の都合もありますので、早速、各論に進みたいと思います。まず、内観の面接で行う「合掌」についてです。「合掌」に抵抗を感じる人が結構いるようですが、抵抗の背後には何があるのでしょうか。本日は、永六輔さんにもお越し頂きました。ご自身の体験を踏まえたお話しを伺えれば有り難いです。永さん、どう思いますか?
永 じつは、僕も浄土真宗のお寺に生まれましたが、若い頃は思わず合掌した手を、まるで、両手をもみほぐしてでもいるようにして誤魔化していました。もみほぐすポーズは、僕の真似をする声帯模写の芸人だけでなく、タモリがよく僕の真似をしているようです。この二、三年ですかねぇ、ふと気がつくと合掌していることが多くなったのは。そうなってみると、どうして、あんなにも合掌することを拒否してきたのかがわからない。お寺の次男として、素直に世間様に合掌してこれなかったのは「思い上がり」だったと、今では思いますね。それと自信がなかった。自己の存在理由、存在価値が希薄だったり、逆に「自信過剰」だったりすると抵抗が起こる。やっと、この年になって、自分のことがわかるようになりました。
司会 つまり、合掌にはその人の心が表れる。しかし、合掌がその人のアイデンテイテイーと関係しているとは思いもよりませんでした。
 永 この合掌のポーズは、単に坊主の倅、寺の子だと思われたくなかっただけでない。合掌して感謝する気持ちになっていなかった。生まれた家を恨んだって仕様がないのだけれど、親父が書き残したものを読んで、親父はすごかったんだと思い、その恨みがいつの間にか感謝になっていて、寺に生まれてよかった、寺で育ってよかったと思うようになり、やっと素直に手を合わせるようになっていました。(永さんはその後にラジオの番組が控えているというので出席者一人ひとりに合掌しながら退室された)
 
相手の立場に立つ
司会 さて、ゲストをもう一人お迎えしております。臨床心理士としてご活躍の菅野泰蔵さんです。内観ではよく「相手の立場に立って自分を見つめよう」というようなことが言われるのですが、菅野先生もカウンセラーに大切な技術の一つとしてそのことを強調されています。
菅野 そうです。徹底して「相手の立場に立つ」ということ、それができなければプロの技を身につけたとは言えないでしょう。私はそれをロールテイキングと呼んでいます。相手の思惑、事情、立場、願望などをうまく取り込む(テイク)ことができるのは、大変な技です。
司会 ロールテイキングについて、わかりやすい例がありましたら・・・。
菅野 ええ、ありますよ。この話は、一般公募で選ばれたエピソード集に、「信ちゃんの嘘」として紹介されたものです。
ある老人混合病院でのこと。高校生の信ちゃんは、新聞配達のアルバイトで新聞を各病室まで届けるのでお年寄りは階下まで降りなくて済むようになった、と大喜び。たちまちみんなの人気者になった。身よりのないセキさんというおばあさんがとくに彼のフアンで、信ちゃん、信ちゃんと孫のように可愛がっていた。そのセキさんがトイレの帰りに病室がわからず廊下をウロウロしたり、ベッド上で少し尿を漏らすようになった。ある日セキさんが彼に訴えました。
「天井から雨が漏ってきて、布団が濡れる」
 同室の女性が“雨なんか絶対に漏らない。ここは二階で上に三階がある。セキさんは少しおかしいんだよ”と信ちゃんに耳打ちした。
さて、信ちゃんはどうしたと思いますか?
内観面接者の方ならどう答えますか?
信ちゃんはうんうんとうなずき、セキさんにやさしくこう言いました。
「ほんとだ。天井にしみがある。雨が漏ったあとだよ。修理するように看護婦さんに頼んであげるよ」
この話はあとで人伝てに聞いたのですが、セキさんに語りかける信ちゃんの優しい様子は、高校生とはとても思えなかったそうです。不思議なことに、セキさんの失禁はその日からぴたりと止まったのです。
司会 なるほど分かりやすくていい話です。しかし、プロだからと言って、みんなが信ちゃんのようにできるとは限りませんし、また、プロゆえに別の応答をすることもあるでしょう。
菅野 おっしゃるとおり、プロであるために、たとえば「セキさんのボケの程度はどれくらい進行しているのか?」「増薬が必要なのか?」「こういう防衛の仕方をどのように解除すればよいか?」などと。勿論そのような立場からでもセキさんの失禁を止めることもできますが、信ちゃんの応対を知った以上、私たちは専門家としての自分を見直さなければならないでしょう。
司会 まったく同感です。たとえ信ちゃんの応対が素人のラッキーパンチだったとしても教えられることは少なくないですね。それにしても、菅野先生の謙虚で、誰からでも学ぼうとする姿勢を改めて伺って、感銘を受けました。
永六輔さんのお話にも出てきましたが、結局、人間を相手にする仕事に携わっている者は、いつでも自分自身を見つめる目を持っていなければならないということですね。その目さえ持っていれば、いつか自分のコンプレックスにも気付くし、変化あるいは成長がもたらされる。「内を観る」ので「内観」と名付けた吉本伊信の達見に今更ながら頭が下がります。合掌。
真栄城 輝明・やすら樹百号より転載)

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