内観の詩―親つなぎ・子つなぎ
真栄城輝明(大和内観研修所)
熊本県の蓮華院誕生寺を訪ねたときのことである。そのお寺は世界一大きな「飛龍の鐘」を有し、奈良の西大寺より分流として正式な免状を与えられたという「大茶盛」でも有名だ。そして、最近では、平成14年にはあのダライ・ラマが訪れて講演したことで人々に知られているようだが、内観の世界では、内観研修をおこなっているお寺としてよく知られているところである。
内観面接を担当されている大山真弘和尚の案内で「飛龍の鐘」を撞いたあと、境内を見てまわったのであるが、立ち並ぶ詩碑を前に私は動けなくなってしまった。
そこに「ウヤチナギ・クヮチナギ」が結晶された小学生の詩を見つけて足が止まってしまったのである。その詩は、「親を大切にする子供を育てる会」(川原真如会長)が主催する第2回こどもの詩コンクールで特別奨励賞を授与されたようだ。詩の題は,ごくありふれた「宿題」となっていたが,その内容と言えば,まさに内観の詩であった。親子の絆(ウヤチナギ・クヮチナギ)が見事に表現されていた。全文を紹介しよう。
宿 題
弓削小学校六年 中村 良子
今日の宿題は つらかった
今までで いちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた
一行書いては なみだが流れた
「宿題は,お母さんの詩です。」
先生は そう言ってから
「良子さん。」
と 私を呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど
がんばって書いてきてね。
お母さんの思い出と
しっかり向き合ってみて。」
「お母さん」
と 一行書いたら
お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」
と もうひとつ書いたら
ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」
と言ってみたら
「りょうこちゃん」
と お母さんの声がした
「おかあさん」
と もういちど言ってみたけど
もう 何も 聞こえなかった
がんばって がんばって 書いたけれど
お母さんの詩はできなかった
一行書いては なみだがあふれた
一行読んでは なみだが流れた
今日の宿題は つらかった
今まででいちばんつらい宿題だった
でも
「お母さん」
と いっぱい書いて お母さんに会えた
「お母さん。」
と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間
私にも お母さんがいた
【評】実感のこもった詩である。私は小学校三年生の時,父を亡くしたので,若し私に「父」という題で詩を書けと言われたら,こんな詩を書いたであろう。最後の六行が実にいい。
評者は詩人で審査委員長の坂村真民のようだ。評者が評価する「最後の六行」こそウヤチナギ・クヮチナギ(親子の絆)そのものだと言ってよい。ここで沖縄語を解説すると,ウヤとは親のことであり,クヮとは子のことであり,チナギとは繋ぐことを意味する。したがって,言葉通りにそのまま共通語にすると「親つなぎ・子つなぎ」となる。この詩には,お母さんがいつ亡くなったかは記されていないが,もはやこの世には存在していないということなので,親子は形の上では切れていることになる。その切れていた親子の絆をつないでくれたのが,宿題を出した担任の先生である。
「つらい宿題だと思うけどがんばって書いてきてね。お母さんの思い出としっかり向き合ってみて」と,ひとり良子さんを呼んで声を掛けた先生は,名カウンセラーあるいは有能な内観面接者のようだ,と言ってよいだろう。何しろ,小学生と言えば,お母さんに甘えたい年頃である。甘えたくても現実にはお母さんはもうこの世にはいない。甘えたい心を必死に耐えるしかなかったであろう良子さんにとって,確かに「今日の宿題はつらかった」に違いない。それなのに「今まででいちばんつらい宿題だった」と言いつつ,最後までがんばれたのは,担任の先生の励ましのお陰である。その先生に見守られて良子さんはお母さんとつながることができた。
もっと言えば,おそらく,先生は普段の学校生活を通して良子さんとしっかりとつながっていたように思われる。そうでなければ,こんなむつかしい宿題は出せないだろうし,出されても良子さんには取り組めるはずがないからである。
「最後の6行」を導いたのは,9行目から12行にかけての先生の言葉であった。内観面接者としてはつい注目したくなる箇所でもある。仮に沖縄のユタであれば,亡き母親を呼び出して娘の良子さんと母親を「つなぐ」ことができるかも知れないが,それはカウンセラーや内観面接者の仕事ではない。したがって,面接者は早期に親と離別した内観者と対面したとき,言葉を失ってしまうことがある。ユタと違って,面接者にできることはちょうど良子さんの先生がそうしたように,心をつないだ上で励ましつつ,相手を見守るしかないからである。しかし,そうすることはユタに劣らず,否,ひょっとしてそれ以上に相当なエネルギーを必要とする仕事なのだ,といってよい。このような面接者に見守られて,内観者は自力で「ウヤチナギ・クヮチナギ」を成し遂げていくのであるが,「私にも,お母さんがいた」と述べた最終行には,それが見事に表現されている。それは,まるで一週間,屏風の中に籠もって,集中内観を続けてきた内観者の言葉のようでもある。
(本文は、拙著「心理療法としての内観」(朱鷺書房)から抜粋し、加筆修正を施したものであるが、書き上げた日の12月15日の中日新聞のコラム「中日春秋」は、詩人の坂村真民(97歳)が12月11日に死去したことを報じている。心理学で言う「共時性」を感じた次第である。ご冥福を祈りたい。)