吉本先生ご夫妻 こぼれ話 本山 陽一 (白金台内観研修所) 吉本先生ご夫妻の思想、お人柄とその生活ぶりは、今でも私にとって人生の支えであり、指針です。かつて、偉人や伝説上の人物について書物で読み、憧れや尊敬、感動等を抱いたことはありましたが、現実に出会ったことはありませんでした。吉本先生ご夫妻は、まさにそれらの書物で描かれていたようなご夫妻でした。私は「現実にこんな人たちが存在するのだ」と驚いたとともに、現実だけに書物とは比較できないほどの影響を受け、人間の可能性について勇気をいただきました。今回、みすずの会の橋本さんからのご依頼を受けて、吉本先生ご夫妻をご紹介できる機会を得たのですが、とてもその人物像全体をお伝えする自信がありません。そこでいくつかのエピソードを記すことで私の役割を果たそうと思います。 〈エピソード1〉 突然、大声で泣き出した中年の女性が、次の面接で「吉本先生ご夫妻の会話をお聞きしていて、私は今まで何をしていたのだろう、と情けなくなりました」と話し出すのです。「ここで内観をしているとお二人の会話が聞こえてきます。お声だけ聞いていると、お互いが相手のことを思いやっているのが本当によく分かります。私たち夫婦と全然違う。私たちは汚い言葉で相手を傷つけたり、自分の主張ばかりしていて、お互いをいたわってやさしい言葉をかけたことがありませんでした。お二人の仲睦まじいお姿を拝見させていただけただけでもここにきた甲斐がありました」 私が吉本先生のお手伝いをしていたときの面接体験です。 〈エピソード2〉 いつも奥様は、先生に「何か私に(妻として)こうして欲しいという注文はありませんか」とお訊きになり、その度に先生は「何もありまへんなあ、感謝しています」と応えておられるご夫婦でした。 夫婦が50年以上も仲良くいられる、いや、むしろその愛情が深まっていっていると思われる背景には、お互いの自分の中に潜む我という悪魔と絶え間なく戦ってこられた結果だと思われます。人間の営みはすべて、そこに参加している人々の努力がなければ崩壊するもので、いい家庭の裏にはお二人の人には見えないところでのご努力があったと考えるのが自然でしょう。 表面的には奥様の先生に対するサービスが目立ちましたが、お側でお二人の日常生活を垣間見ていると、伊信先生の陰での奥様に対する気配りも相当なものだったと私は推察しています。 〈エピソード3〉 午前3時~4時に起床される先生の日課は、まず読経からです。それは居間で先生の母上の声の入ったテープをかけながら、その声に合わせてお経を唱えるといった気楽なもので、なにか呑気な雰囲気さえ漂うものでありました。亡き母親の声とともにお経を読むお姿は、お勤めというよりも小さな子どもが母親と戯れて遊んでいるかのように見えました。4時半頃、奥様が起床されて朝食の支度が始まり、5時5分前頃に放送で内観者さんに起床を促し研修所の一日が始まります。 全盛期には、30人の内観者さんの面接を一日8回実行する、一回の面接時間が一人3分としても720分12時間、一人5分なら1200分20時間の面接時間になります。それを60代の先生が、長島先生とお二人でこなされ、内観者さんのお食事は奥様がほとんどお一人で作っておられました。夕食の後片づけが終わると、必ずご夫婦で一緒にお風呂に入られ、お休みになられました。それを年中無休で続けておられました。そんな生活を先生は「まるで遊び暮らしや」とおっしゃっていました。 〈エピソード4〉 ある朝5時半頃、先生が面接のため階段を昇られているときに朝日が差し込んで来たことがありました。すると、先生は立ち止まり、朝日に向かい合掌されました。一分ほど合掌されると何事もなかったかのように、また面接に向かわれました。一階でふとその光景を目にした私は、その自然の動きと美しさに一人で感動に浸っていました。 また、8月15日の終戦記念日の昼食のときに、テレビから年配の方が次々とお参りしている映像が流れてきました。その映像が流れると、先生は食事中の手を止め、テレビに映っている年配者の方々と一緒に合掌されるのです。テレビのシーンが次の映像に変わると、またいつものように食事を続けられました。 このような暮らしに自然と溶け込んだ合掌や感謝が、超人的なスケジュールにあっても生活のゆとりを生み、研修所の穏やかでのどかな雰囲気を醸し出していたのだと思います。 〈エピソード5〉 先生の生活は本当に裏表のない生活でした。無理すれば45人も座れるほどの大きな家は、そのほとんどが内観者さんのために開放され、先生ご夫妻のプライベートな空間は、寝室として使われていた3畳ほどの小さな和室だけでした。一年中内観者さんの眼にさらされるプライバシーのない生活だったのです。 その莫大な資産管理のためか、事業引退後も株をやっておられ、しかも相当な腕らしく「不思議なことにわたしが買った株は、全部値上がりするんですよ」と言われて楽しんでおられました。したがって、内観研修所に届く郵便物の中には、株や預貯金等、金銭に関するものも数多くありました。ところが先生は、お手伝いに伺ってまだ日の浅い私に「ここに来る郵便物はすべて見ていいですから」と言われるのです。一緒に働く人間を全面的に信用される先生の懐の大きさと、秘密を持たない生活ぶりに私は圧倒されました。 〈エピソード6〉 ある時、ちょっと恐い関係の方が内観に来られたことがありました。内観がなかなか進まず、何度面接に伺っても3つのテーマが答えられませんでした。まだ若くて生意気ざかりの私は、何も答えないその方にしびれをきらして「していただいたことにどんなことがありましたか?」と答えを催促しました。すると突然「分かってんだよ!」と家中響き渡るような大声で怒鳴られました。私は内心「しまった!」と思ってあわてて土下座して謝りました。その方は、機嫌を直して内観を続けてくださいましたが、あの怒鳴り声は階下の先生の耳にも届いたはずです。 私は「自分の面接で内観者さんを怒らせたことを先生は何と思われるだろうか、常々『内観者さんは菩薩様だ。人間ほど自分勝手な動物が内観をするのはよくよくの縁だから、大切にするように』と教えを受けていたのにどうしよう」と思いながら一階に戻り、ヒヤヒヤしながら居間に入って行きました。すると、先生はおっとりした声で「ええ修行させてもらってまんなあ」と一言おっしゃっただけでした。私はその一言に本当に救われた気がしました。今から考えると、たぶん悄然として居間に入って行く私の様子を見た先生の慰めの言葉であったのだろうと思われます。先生には厳しさの中にこういうやさしさも常に備えておられました。 〈エピソード7〉 元来、粗忽な私は数々の失敗もありました。それを蔭で支えてくださっていたのがいつも奥様でした。お風呂を沸かしていたのを忘れていて慌てて風呂場に飛び込んでいくと、いつの間にかガスのスイッチは切られ、内観者さんのお風呂の用意までできていたことも度々でした。そのことについて注意されたことは一度もありません。ただ、黙って私の不始末をカバーしてくださいました。そんな奥様に面と向かってアドバイスされたことが一度だけありました。 それは、今から23年前、私が初めて内観研修所を開設するときです。「研修所を開設するといろいろなことがあると思いますが、私は本山さんが大変なときは心配していません。むしろ、順調に行き始めたときが心配です。いいときほど危ないですよ。油断しないで下さい」この言葉と「無理はいけませんよ。無理をしないように」という言葉は、今でも白金台内観研修所の運営方針の大きな柱になっています。 〈エピソード8〉 先生はいつも謝ってばかりおられました。内観者さんにアドバイスした後は「生意気言ってすんません」、オリエンテーションでお風呂や洗面台の水を出しっぱなしにしないように注意された後では「ケチ言ってすんません」、参考に自分の体験談を話された後でも「自慢話みたいなことを言ってすんません」といったふうです。 ある日、電話に出られた先生が「はい、内観研修所ですが、はい、吉本は私ですが、はっ、申し訳ありません」と謝っておられました。受話器を置くと「吉本というのはお前か、内観で金儲けをしているのは!」と叱られたとおっしゃり「仏さんに代わって、注意してくださってんやなあ」と相手の言葉を真摯に受け止めておられました。また、窓を開けて内観研修をする夏に、内観中に流れるテープの音がうるさい、との匿名の苦情電話があったときも、一切の不平を口にせず、菓子折を持っておぼつかない足取りで、ご近所を一軒一軒謝って歩いておられるお姿も思い出されます。 〈エピソード9〉 先生は合理主義者でもありました。いつも「今晩死ぬかもしれへんから」と本の注文やいろいろな頼まれごとも、すぐに対応されました。仕事を翌日に持ち込むことがなく、まさに一日一生の生活でした。そのことが、最も効率的で精神的にも負担がないやり方だ、と実際に実行してみて愚鈍な私にもわかりました。 資料請求の電話があったりすると、先生は相手の住所と名前を聞きながら封筒に表書きをしておられました。電話を切ったときには、すでに宛名書きが終わっていて、私は思わずうなってしまいました。先生の生活はすべてがこのようで「頭は生きているうちに使え」と奥様はよく叱られたそうです。 〈おわりに〉 最後に意識がなくなるまで、生活の基本は変わりませんでした。お身体や能力がどんなに衰えても、先生の人格、性格は少しも変わることなく、感情を乱し八つ当たりしたり、我が儘をおっしゃったりすることは一度もありませんでした。最後まで奥様以外の人に頼みごとはなさらず、奥様が傍にいないときは、おぼつかない足取りでご自分で用事をしようとなさいました。私たちが気を利かせて先にして差し上げると、合掌して「ありがとうございます」と必ずお礼を言われていました。 相手が弟子であろうと誰であろうと関係なくお礼を言われていました。奥様に対してでさえ、身の回りの世話をしてもらうと「すまんなぁ」と本当にすまなそうに感謝の意を表しておられました。そんな先生の内面が、最期の場面を美しいものにしていたと今も思います。最後の口癖は「すんません」「ありがとうございます」「おまかせします」でした。最晩年は、柔らかい面も感じられ赤子のような笑顔もよく見られましたが、厳しさも失わず、研修所には穏やかではあるが、厳粛な雰囲気がみなぎっていました。奥様と私がちょっと雑談をしていると「その話は内観とどういう関係がありますか」とやんわり口調でたしなめられました。先生の頭の中は、最後の一瞬まで内観のことだけを考えておられたご様子で、本当に内観一筋の生活でした。
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中日森田療法と内観療法新進展講習班印象記 王 紅欣 (無錫市精神衛生中心・精神科医) 一、講習班の開催 2006年12月4日から8日まで上海精神衛生中心で「中日森田療法と内観療法新進展講習班」が開催された。中国の山東省、福健省、四川省、河南省、青海省、甘粛省、江蘇省、上海市など20の区域から50人の医者たちが参加され、筆者も聴講生の一人として参加させていただいた。 日本大和内観研修所の真栄城輝明先生と奥様、信州大学医学教室助教授、日本内観医学会理事長巽信夫先生、大阪心理相談センター榛木美恵子先生、榛木久実指導員、岡山県立岡山病院医療部長河本泰信先生など、7人の日本人の先生たちは遠路はるばる中国の上海までお越しください、講演をなさって、中国の内観の普及に支援してくださった。それに上海精神衛生中心肖沢萍院長からの応援で、王祖承教授、張海音副教授、唐文忠主任医師など先生たちも研究班で講義を行い、閉幕式まで成功した。 二、講演について 講演は「森田療法の基礎」、「内観療法の理論と実践」、「内観療法と森田療法との類似点と相違点」、「森田療法と内観療法の文化背景」、「日本における内観療法の歴史」、「中国における内観療法の歴史」、「外来森田療法の臨床応用」、「改良森田療法の臨床応用」、「依存症における内観療法の応用」などいろいろな面について行った。以上の講演に対して聴講生の医者たちはいろいろな質問を提出し、充実な研修だった。例え:石井光先生の講演について、「ベトナム戦争に参加したアメリカ軍人に対しても内観をさせましたが、どんな機序で彼らの不安を減らしたのか?」榛木美恵子先生の講演について、「浮気をした夫は妻の所に戻ったとき、内観をした妻はいったいどのような心理的な変化が起こり夫のことを受け入れたのか?」河本泰信先生の講義の後、「男性として女性になりたい、こういう人に対して内観療法は効くか?」などの質問が出され、先生たちは以下のように答えた。 ある人は「自分が悪い事をした」ということを秘密として心の底に隠されている。それを言えなくていつも不安を生じる原因の一つとなっている。内観を通じて、「ある日ベトナムの村民を殺した」面接者に言って、懺悔するだけで不安を減らした。 榛木美恵子先生:内観をした妻は「夫に対して大変迷惑をかけましたなー」「夫からしていただいたことは夫にしてあげたことよりずいぶん多かった」「夫が浮気することを理解できるようになって、戻ってきて嬉しかった」と内観後に考え方が変わった。 河本泰信先生:単なる女性願望の男性に対しては、むしろ内観療法は効果がないと思ったほうがよい。しかし、お父さんの家庭内暴力が幼い心に傷をつけられ、男に嫌になった場合は内観が効くと思う。 今回の研修では、日本と中国の専門家たちは日本と中国の文化背景について、森田療法と内観療法の理論と治療機序について、興味深い講演を行った。時間の問題でより多くの質問ができなかったが、聴講生の医者たちは内観療法にだんだん強い関心を持つようになった。 三、筆者から感じたこと 幸いですが、筆者は鳥取大学で四年間留学し、川原隆造教授の下で内観療法の研究を行っていた。榛木美恵子先生は講演中に筆者のことを在席の皆様に紹介し、日本で内観体験の感想も紹介させてくださった。それのおかげで講演の合間に私は多くの聴講生の医者たちと内観について話し合い、いくつかの質問を受けた:「内観療法の技法は何ですか?」「面接者としていったいどのように指導しますか?」「内観療法の導入についてはどこか注意すべきですか?」「内観による心理的な変化はいったいなんでしょうか?」「内観療法は強迫障害に効きますか?」「内観療法による効果をどうやって評価しますか?」 自分の理解できる限りいろいろな質問について意見を出しましたが、いくつかのことを感じている。1.多くの医者が内観療法に関心を持つようになった。2.内観を体験したことがないため、具体的なやり方が詳しく知りたい。3. 内観中に面接者の役割について詳しく理解したい。 つまり、東方思想に基づく内観療法は中国の医者たちに理解されやすい、効果的な心理療法として、これから中国に普及する必要がある。
The 3rd International Congress of NAIKAN Therapy Symposium [Theme] The Status of Naikan Therapy around the World: Difference and UniversalityCultural Differences between Japan, China and South Korea and the Status of Naikan Therapy in the Respective Countries Presenting a brief consideration to the “Three Questions” Teruaki Maeshiro Yamato Naikan Institute I. Introduction It has long been known that the Naikan method, originating in Japan, was developed out of mishirabe, which has been inherited in a group of the Jodo Shinshu sect of Buddhism. It is also widely known that Buddhism was introduced from India to China, South Korea and finally to Japan; this suggests that these three countries, i.e., China, South Korea and Japan, have historically shared Buddhism as a common culture. Interestingly, however, one of the focuses of this Symposium will be differences between these countries in interpreting the Three Questions asked in the Naikan method. In fact, there are obviously various cultural differences between these countries, even while sharing Buddhism as a common ground. As a symposiast, I will briefly discuss the subject assigned to me, with such cultural differences in mind. II. Difference between Mishirabe and Naikan Asked how Naikan was distinguished from mishirabe, Ishin Yoshimoto, the founder of the Naikan method, replied “I shifted the emphasis of Naikan from ‘having a sense of uncertainty’ to ‘having a sense of guilt’” (Yoshimoto, Ishin, Introduction to Naikan, 1983, p. 56). He also explained the reason for the shift: “Awareness as a real sinner entails a deep, deep self-reflection. When a sinner becomes aware of being a sinner, the eye of the truth opens. To feel a real sense of uncertainty, we should start from a training for becoming truly aware of sins. Therefore, I shifted emphasis from the conventional one” (Yoshimoto, Ishin, Introduction to Naikan, 1983, p. 57). As a specific approach to this purpose, the Three Questions, which had not been practiced in mishirabe, were established in the Naikan method. Thus, it can be said that these Three Questions are the critical difference between mishirabe and Naikan. III. Specific Episodes that Reminded Me of Cultural Differences 1. One Chinese student studying in Japan experienced a Naikan training in Japan. After this training, he was pleased that his relations with Japanese people improved. However, when returning to China for a short holiday stay, he found his relations with Chinese people worsened, and he felt sad about this. Learning this story from him, I wondered if this was attributable to cultural differences between the two countries. 2. One day a Korean Naikan participant visited me. He requested an interpreter because he did not understand Japanese. When I proposed, for an interpreter, a Korean student studying in Japan, who was younger than him, he declined to accept it. In the end, he was satisfied with another candidate who was older than him. It seemed that the culture of respecting seniority was still highly influential in South Korea. According to him, even smoking is not allowed in the presence of elders. It was therefore not acceptable for him to have a younger interpreter on the occasion of Naikan practice, in which he expressed the inside of his mind. Are there any customs in the countries such that elders cannot confess his/her shames in the presence of younger people? IV. Purpose of Naikan According to Ishin Yoshimoto, “the purpose of Naikan is removing a sense of self-centeredness and eliminating the ‘self’ that adheres to the ‘I’” (Yoshimoto, Ishin, Forty Years of Naikan, 4th Edition, 1972). Takao Murase, a specialist in Western psychology, argues that the purpose of Naikan is ensuring “Where id was, there ‘genuine conscience’ shall be,” borrowing Freud’s words (Murase, Takao, Naikan: Theory and Cultural Relationship, 1996). How would Chinese and Korean specialists respond to these ideas? I am looking forward to hearing their views in the Symposium.
面接者研修プログラムの検討 -研修生の視点から- ○酒井ゆり子1) 真栄城輝明2) 1)公立中学校教諭 2)大和内観研修所 Ⅰ、はじめに 心の時代になって、公立中学校の教員である演者にも教育相談の担当が廻ってきた。心の問題について特別の研修を受けたわけでもなかったので、不安を持ちながらのスタートであった。そこで、共同研究者の主催する事例研究会や個人スーパーヴィジョンを通して、なんとか与えられた教育相談業務をこなしてきたつもりであるが、あるとき、困難な事例を担当して暗礁に乗り上げてしまった。自分自身を立て直すために集中内観を受けた。今回は、4度目の集中内観であったが、共同研究者の元で、内観面接者としての研修を受ける機会があった。演者にとって、面接者となるのは初めての経験であった。そこで、いくつかの気づきを得たので一般演題として報告しようと思い立った。 Ⅱ、目的 内観の場合、内観者としての研修は頻繁におこなわれているが、面接者としての研修の機会は少ないように思われる。今回、教育相談担当者(面接者)としての資質向上のために面接者研修を受ける機会があったのでまとめてみることにした。 Ⅲ、方法 集中内観と並行して、面接者としての研修を受けた。研修の方法は1日に2回、指導者の面接に同行させてもらった。初回は、指導者の面接を傍らで聴かせてもらった。その次は、指導者が傍らで見守る中で面接を担当させて貰った。面接を担当する前に合掌の仕方とお辞儀の仕方を練習したが、それが意外に難しかった。作法が身に付いて自然な面接が出来るまでには、指導者の助言が必要であった。また、面接中に内観者から質問が発せられて、それに答えられない事態となったことがある。そのときに傍らの指導者が答えてくれて助かった。さらに面接後のスーパーヴィジョンが有意義であった。 Ⅳ、結果と考察 紙幅の都合で、詳細は当日報告することにして、ここではごく簡単に述べておく。 1,内観者の時は、面接者の影響をそれほど感じなかったが、実際に面接してみると、言葉以外の体の動きまでもが内観者に影響を与えていることがよくわかった。 2,内観に型があるお陰で、面接者として助けられていることを強く感じた。 3,内観者と面接者が接するのはほんの数分のことであるが、それだけにいろいろな要素が凝縮しており、あとの内観や面接にも変化が出ていくのを実感した。 4,内観における面接者の重要性を感じた。 参考文献 竹中哲子:内観面接における教育研修の方法―研修生としての体験からー、第28回日本内観学会大会抄録集、p37 2004.
内観療法を学ぶ人のためのブックガイド 真栄城 輝明 【プロローグ】 表題のテーマを与えられて、思案に暮れていたところ「内観(法)を学ぶには、本よりも実践しかおまへんでっしゃろ」という声がしたので驚いて、あたりを振り返ってみたのですが、誰もいません。声の主は内観法の創始者・吉本伊信のようなので、私は姿亡き師に向かって、こう問いかけてみました。 「では、ブックガイドは必要ないということですか?」 ところが、もう何も聞こえてきません。そこで、しばらく思案に沈んでおりました。が、いつまで経っても思案に落ちてこないのです。そのまま思案に余った状態でいました。そして、ついに思案が尽きてしまった瞬間のことです、本のほうから次々と姿を現してくれたのです。つまり、ここに登場する本は、みんな自分から名乗り出てくれたものばかりです。しかも、お互いに本同士で話し合って、次のような取り決めまでしてくれたのです。 「吉本先生の声にもあったように、確かに内観法は読むものではなく、体験するものだ。内観療法は内観の理論化に頑張ってくれているようだし、今回は前面に出てもらうことにしたらどうだ。内観法と教育内観は中身には触れる必要はないが、存在だけは紹介してもらうことにしよう。」注 というわけで、今回は心理療法としての内観、つまり、「内観療法」を重点に紹介することになります。そして、みんなで合意したように「内観法」「教育内観」については、最後の方でその存在だけを紹介することになりました。 【内観療法の入門書】 ①「内観療法入門―日本的自己探求の世界―」(三木善彦著・創元社・1976・1600円)は、タイトルに入門と掲げてはいますが、内容は立派な学術書になっています。その証拠に、参考文献として引用される頻度は、常に他の類書を圧倒してきた感があります。1983年の時点で6刷を出していることからも分かるように、内観界のベストセラーの一つに数えられています。著者によれば、目下、本書の第二弾を暖めているそうです。ご期待ください。 ②「心身医学療法入門」(石田行仁著・誠信書房・1977・1500円)は、第3章の5節と6節に内観療法を取り上げているだけですが、内観療法と出合った医師の率直な感想が述べられていて、面白くて読みやすく書かれています。他の療法と読み比べてみたい読者にはお勧めできます。 ③「内観法入門―安らぎと喜びにみちた生活を求めて」(村瀬孝雄編・誠信書房・1993・1900円)は、タイトルこそ内観法となっていますが、内容の大半は内観療法として読めるものが占めています。1999年の時点で第11刷が出版されていますが、読みやすさも手伝って今のところ一番の売れ筋だと言ってよいでしょう。蛇足になりますが、印税が日本内観学会に入るようにしてくれたのは、ひとえに編者(村瀬孝雄)の計らいによるものです。 ④「自分を知りたい 自分を変えたいー内観法入門―」(杉田敬著・星和書店・1998・1900円)もまた、表題は内観法入門となっていますが、内容には臨床心理士としての著者が大学病院や総合病院の心療内科において内観療法を実践してきた事例が紹介されています。 ⑤「楽ないきかた~感謝から幸福を導く『内観療法』~」(上野みゆき・文芸社・2005・1200円)を入門書に入れた理由は、文字が大きくて文章も読みやすく、所々に漫画が挿入されているため、内観療法は初めてという一般の読者にもお勧めできると思ったからです。 【中級編―内観体験後に読む本】 ①「死と生の記録―真実の生き方を求めて」(佐藤幸治著・講談社現代新書・1968・250円)は、京都大学教授であった著者が定年退官する1ヶ月前に発刊された本のようですが、その中の第9章に『自己反省に徹し本心に目覚めるー吉本伊信“内観四十年”』と題して吉本伊信と内観が紹介されています。 ②「無我の心理学」(竹内硬著・印刷 第一法規出版株式会社・1980・2500円)は、自身も内観を体験された信州大学教授が著した本です。全体で207頁もある本ですが、その中の後編(101-196頁)を内観に割いて紹介しています。 ③「内観一筋 吉本伊信の生涯」(日本内観学会編・1989・1800円)は、吉本伊信が1988年8月1日に逝去されたため、同年9月25日に京都の御香宮参集館にて偲ぶ会が開催されました。そして、1周忌の命日(1989年8月1日)に合わせて、偲ぶ会の様子を第一部に盛り込んで発刊されています。 ④「内観―こころは劇的に変えられる」(長島美稚子、横山茂生著・法研・1997・1300円)は、内観面接者と精神科医の共著として出版されています。第3章に療法としての「内観」について述べた後、第4章には、内観研修所へ行かなくても自宅で実践するテクニックが紹介されています。 ⑤「内観ワークー三つのキーワードで本当の自分に出会うー」(三木善彦、三木潤子著・二見書房・1998・1500円)は、書名が示す通りにワークシート付きの本です。内観体験者には内観ワークの仕方が紹介されているのが嬉しくなるに違いありません。本書には内観療法という言葉こそ出てきませんが、不登校、摂食障害(過食症・拒食症)の例が紹介されています。 ⑥「内観療法の実践」(笹野友寿著・芙蓉書房出版・1998・1500円)は、自ら集中内観を体験した精神科医が、治療の事例を紹介し、内観療法の意義を説いた本です。事例には解離性障害、身体化障害、摂食障害、抑うつ神経症が取りあげられています。 ⑦「病気でも家族と幸せに暮らせる内観療法―家族内観の方法と実際」(上野みゆき著・光雲社・2001・1600円)では、家族内観療法の効用が事例を通して紹介されていますが、どちらかと言えば、一般読者を対象にして書かれたもののようです。 【内観療法の臨床家や研究者向けの学術書】 ①「内観研究」は、日本内観学会が発行している研究誌です。日本内観学会は1978年に発足されて以来、毎年1回、全国各地で大会を開催してきましたが、1995年4月15日に第1巻第1号を刊行するに至りました。今年の2007年4月15日には第13号を数えますが、大会中に発表された研究発表の中から座長の推薦を得て、精選された論文に加筆がなされたうえで掲載されていますので、臨床家や研究者にはお勧めです。 ②「内観医学」は、1998年に発足した日本内観医学会が発行している専門研究誌です。両書は通読すると言うよりも、臨床家と研究者の本棚には必携の研究誌であり、必要に応じてページを捲ればきっと役に立つこと請け合いです。しかし、両書は一般の書店では取り扱っていません。それぞれの学会事務局か内観センターにお問い合わせください。 ③「内観療法」(奥村二吉、佐藤幸治、山本晴雄編集・医学書院)は、1972年1月に第1版1刷が出版されていますが、現在は絶版となっています。そして、 ④「禅的療法・内観法」(佐藤幸治編著・文光堂)は、同年の9月15日にサイコセラピー・シリーズの一つとして出版されました。両書によって内観は、内観療法としての認知度を高めたと言う人もいるくらいですが、これも絶版です。 ⑤「原事実について」(奥村二吉著・岡山大学医学部神経精神医学教室・1985)は非売品となっていますが、相当なプレミアがついてもおかしくない名著だと言われています。岡山大学医学部教授を定年退官された著者の満80歳の誕生日を記念して出版されたようですが、内観について思うことが書かれてあり、一読の価値があります。 ⑥「瞑想の心理療法―内観療法の理論と実践」、現代のエスプリ202号(竹元隆洋編著・至文堂)は、1984年に出版されました。内観療法の基本原理や治癒機制を論じた論文、さらには他の精神療法との比較を試みた論考などが盛り込まれて、多彩で興味深い内容が並んでいます。内観臨床の第一人者である編者による解説や考察も定評があり、読み応えも十分です。 ⑦「内観 理論と文化関連性」(村瀬孝雄著・誠信書房・1996)は、著者の村瀬孝雄が自ら内観を体験して以来、28年を経てまとめた大作です。内観療法の理論化を試みた素直論など、日本文化との関連で考察した数々の論考が納めてあり、内観の専門家にとっては必読書の一つだと言ってよいでしょう。 ⑧「内観療法」(川原隆造著・新興医学出版社・1996)は、大学のテキストに最適な内容になっています。まず、内観療法関連の用語を取り上げ、著者なりの再定義を試みることをはじめとして、各種心理テストや生理学的検査所見、内観療法の治療機序、各疾患別への適用について解説しているからです。 ⑨「内観療法の臨床―理論とその応用」(川原隆造編・新興医学出版社・1998・7500円)は、総勢31名の臨床家と研究者によって執筆された、それこそ専門家向けの学術書であり、値段は高額にはなっていますが、内観の臨床家や研究者にとっては欠かせない豊富な内容が盛り込まれています。 ⑩「心理療法の本質を考えるー内観療法を考える」(川原隆造、東豊、三木善彦編・日本評論社・1999・2300円)は、類書に例のない内容となっています。具体的には、鳥取大学医学部で開催された内観療法シンポジウムにおいて、内観療法の事例報告が行われ、それに対して、精神病理学、精神分析学、認知行動療法、ブリーフセラピーの第一人者が自派の療法の核心から内観療法の有効性を検討し、吟味するという画期的な試みが実現され、それを収録したのが本書になったからです。 ⑪「東洋思想と精神療法―東西精神文化の邂逅」(川原隆造、巽信夫、吉岡伸一編・日本評論社・2004・2500円)もまた、学会のシンポジウムと講演を収録して出版されたものです。ここでの学会は、2003年10月10日~12日に米子コンベンションセンターで開催された第1回国際内観療法学会・第6回日本内観医学会のことです。執筆陣はアメリカ、中国、韓国、そして日本の4カ国で構成されていて、まさに東西精神文化の邂逅が実現されています。 ⑫「心理療法としての内観」(真栄城輝明著・朱鷺書房・2005・2800円)は、内観のルーツから治療構造、臨床応用まで、長年の臨床探求から得られた成果を集成したもので、内観を通して心理療法の真髄に迫ろうとしたものです。巻末には、これまで出版された内観関係文献の一覧が掲載されています。 ⑬「内観療法の現在―日本文化から生まれた心理療法」(三木善彦、真栄城輝明編・現代のエスプリ・至文堂・2006・1381円)は、表題のテーマでメール座談会が行われ、内観療法の歴史を振り返りつつ、各分野における内観療法のあり方についても話し合われています。具体的な内容は以下の通りです。 <内観療法の実践の現在><カウンセリングと内観><教育と内観><内観療法の本質><内観療法研究のトピックス><内観療法の展開><内観療法の展望>などが、それこそ多彩な論陣によって紙面を飾っています。 ⑭「内観法―実践の仕組みと理論」(長山恵一、清水康弘著・日本評論社・2006・7600円)は、内観体験の展開を内観原法のプロセスに即してきわめて具体的かつ丁寧に論じた話題作です。本書の主題は内観法のようですが、内観療法についても他の療法と比較しながら理論化しつつ、心理療法それ自体への提言を試みるという意欲作であると同時に、大作になっています。 【内観法に関する本】 ①「心の探検―内観法」(楠正三著・桐原書店・1975・1500円) ②「不安からの脱出―人生を変える内観法入門―」(楠正三著・ブレーン・ダイナミックス・1977・950円) ③「東洋の知恵・内観―こころの洗濯法」(金光寿郎著・光雲社・1984・1500円) ⑤「驚異の自己活性法―『内観法』入門―」(柳田鶴声著・同友館・1985・1300円) ⑥「愛の心理療法 内観―よろこびとやすらぎの世界」(柳田鶴声著・いなほ書房・1989・1300円) ⑦「禅と内観―不安と葛藤の中を生きるヒント」(村松基之亮著・朱鷺書房・1991・1545円) ⑧「家族―心のメッセージ」(清水志津子著・いなほ書房・1995・1500円) ⑨「内観実践論―自己確立の修行法」(柳田鶴声著・いなほ書房・1995・1300円) ⑩「忘れていた“心の宝”と出会える本―『内観』であなたも生まれ変わる」(三木善彦著・同朋舎・1997・950円) ⑪「健康と内観法15章」(草野亮著・アテネ社・1997・1500円) ⑫「内観法はなぜ効くかー自己洞察の科学」(波多野二三彦著・信山社・1998・3000円) ⑬「一週間で自己変革『内観法』の驚異」(石井光著・講談社・1999・1400円) ⑭「証言集 吉本伊信と内観法1―吉本伊信との五十年」(塩崎伊知朗、竹元隆洋編 証言者 中田琴恵 吉本キヌ子 長島正博・日本図書刊行会・2000・1500円) ⑮「家族・友達・仕事のために自分を知ろう」(西田憲正著・内観双書・2001・1575円) ⑯「心理臨床からみた心のふしぎー内観をめぐる話」(真栄城輝明著・朱鷺書房・2001・1600円) ⑰「内観法と吉本伊信―幸福の発見法を確立した人―」(宮崎忠男著・近代文芸社・2001・1000円) ⑱「内観で<自分>と出会う」(長島正博、長島美稚子著・春秋社・2001・1800円) ⑲「内観に救われてー愛の再体験―」(三宅忠六著・文芸社・2006・1300円) 【内観教育】 ①「子どもが優しくなる秘けつー3つの質問(内観)で心を育む」(石井光編著・教育出版・2003・1800円) ②「思いやりを育てる内観エクササイズー道徳・特活・教科・生徒指導での実践」(国分康孝、国分久子監修・飯野哲朗編著・図書文化・2005・2000円) 【内観に関するその他の本】 ①「花のいのちー人を愛し、歌を愛して」(島倉千代子著・みき書房・1983・1000円) ②「あなたもとりゃんせーこのみち五十年」(水野秀法著・柏樹社・1983・1200円) ③「答えは自分の中にー人生案内の窓から」(三木善彦著・ブレーン出版・1995・1500円) ④「『反省・内観』で心を知る」(助安由吉著・エイト社・1998・1000円) ⑤「人は何によって輝くのか」(神渡良平著・PHP研究所・1999・1500円) ⑥「内観の霊性を求めて(1)―心の内なる旅」(藤原直達著・カトリック内観研究会発行・2002・非売品) ⑦「内観の霊性を求めて(2)―心の深海の景色」(藤原直達著・カトリック内観研究会発行・2004・非売品) ⑧「内観の霊性を求めて(3)―ナムの道もアーメンの道も」(藤原直達著・カトリック内観研究会発行・2005・非売品) 【吉本伊信が著した本】 ここには、一般の書店で入手できるものだけを記しておきます。 ①「内観法」(吉本伊信著・初版は「内観四十年」として1965年に出版されるが、2000年に新装改訂されて、初版同様に春秋社から出版された。2000円) ②「内観への招待―愛情の再発見と自己洞察のすすめ」(吉本伊信著・朱鷺書房・1983・1200円) 【エピローグ】 周知のように、吉本伊信は自身を内観のチンドン屋と称して、生涯を内観普及に捧げました。「内観の理論化は学者(研究者)の先生方にお任せしたいと思います」と言って、自身は内観の実践に重きを置いて、内観三昧の生活を通しました。別の言い方をすれば、吉本伊信は行動の人でした。全国各地へ出かけて行っての講演活動はもとより、篤志面接員として奈良少年刑務所に精力的に通ったことも有名な話です。 また、多数の書籍や小冊子だけでなく、テープ(カセットやビデオ)なども遺しています。吉本伊信の声が聞きたいという方や資料が必要な方は、直接、内観センター(奈良県大和郡山市高田口町9-2・℡:0743-54-9432)までお問い合わせくださるとよいでしょう。 (本文は、「内観療法」三木善彦・真栄城輝明・竹元隆洋編著・ミネルヴァ書房・2007,10,20発行 より抜粋して掲載いたしました。)
教師が内観をする意義 三木善彦 (帝塚山大学教授・大阪大学名誉教授) 私たちが内観をするきっかけはさまざまですが、病気や仕事や人生に行き詰まって、それからの脱出を願ってであることが結構、多いようです。つまり、その大小はさまざまですが、人生の危機に直面して、内観にその解決の道を求める人々が多くいます。 今回のシンポジストになった竹中哲子先生もそのお一人です。先生は体育の教師として活躍していたときにガンになり、手術後、身体に自信を失い教師としてやっていけるかという岐路に立ちました。そして縁あって北陸内観研修所で内観なさいました。そして先生はやがて内観研修所を開設し、その活動が世の中に知られるようになると、教育関係から声がかかり、講師として内観を広めておられます。 二人目のシンポジストになった西山知洋先生は教師として3つの壁に直面し、心身共に疲れ果て、その苦悩からの脱却を求めて、吉本先生の内観研修所で内観なさいました。先生はやがて念願のフリースクールを開設しそのなかで内観を実践するようになりました。 三人目のシンポジスト・酒井ゆり子先生は教師としての自分のあり方に限界を感じ、その打開を求めて大和内観研修所で内観をなさったように思います。そして内観を自己理解や生徒理解の手がかりとして、教師として成長なさいました。 このように内観を契機に三人三様に成長し、教師としての可能性を広げていかれたように思います。 私はあるとき多くの学生たちに印象に残る教師についてエピソードを交えて書いてもらい、そこから魅力的な教師の条件として、①教科に関する豊富な知識、②すぐれた教育技術、③生徒とのよい人間関係、④教育に対する情熱、という4つの条件を抽出したことがあります。 教師が内観をすると、自己理解や生徒理解が深まり、生徒とのよい人間関係が構築され、改めて教育への情熱がかきたてられ、知識や技術も豊かになるのではないかと思います。 ですから、多くの教師が機会を得て内観してくださると、日本の教育事情はもっと改善し、生徒たちの学習意欲の向上や人間性の深まりにも寄与するのではと思います。
第3回国際内観療法学会 ・シンポジウム テーマ「各国の内観療法の実際 -相違点と普遍性-」日中韓の文化差と内観療法の実際 ―3項目についての小考察を試みつつー 大和内観研修所 真栄城 輝明 Ⅰ、はじめに わが国で生まれた内観が仏教(浄土真宗)の一派に伝わる“身調べ”から発展してきたことは、つとに知られたことである。そして、仏教といえば、インドから中国や韓国を経て日本へ入ってきたことは周知のことである。つまり、三国は歴史的にも仏教という共通の文化を有してきたことになる。 ところが、今回のシンポジウムでは、これら三国における内観3項目のとらえ方の相違をテーマにしたいと聞いている。つまり、仏教という共通項はあるにしても、三国の間には当然のことながら文化の差がみられよう。そこで、演者としては与えられたテーマについて、それぞれの文化の差を念頭に置きつつ、若干の考察を述べて、シンポジストしての責を果たしたいと思う。 Ⅱ、身調べと内観の違い 内観の創始者である吉本伊信は、内観は身調べとどう違うのか、という問いに「私は、内観のポイントを、無常感をもつことよりも罪悪感をもつことにずらしました」(吉本伊信、内観への招待、1983、56頁)と述べている。そして、「本当の罪人と自覚するには、深い深い反省が必要です。罪人が罪人だったと悟った時、真理の目が開けるのです。本当の無常感を感じるためには、本当に罪悪を感じられるようにすることから訓練すべきだと思って、従来からの重点の置き方を変えたのであります」(同上、57頁)とその理由まで述べている。その具体的な方法として身調べにはなかった「3項目」が内観において設定されることになったようなのである。つまり、3項目こそ身調べと内観法の決定的な違いだと言ってよいだろう。 Ⅲ、文化の差を感じさせられたエピソード 1, ある中国人留学生が日本に滞在中に内観を体験したことがある。内観後には、日本人との関係がうまくいくようになったと喜んでいたが、休暇を利用して短期間の里帰りをした際に、中国人との関係がうまくいかなくなったと嘆いて見せたのである。そのエピソードを当の本人から聞いたとき、演者はひょっとしたら両国の文化差によるものではないかと考えた。 2, 韓国から内観者を迎えたときのことである。内観者は日本語が話せないので通訳を用意して欲しいと言われて、内観者よりも若い留学中の学生を候補に挙げたら難色を示してきた。結局、内観者よりも遙かに年上の通訳が見つかって納得してくれたことがある。韓国では今でも年功序列という文化が強く残っているように思われた。聞くところによれば、年下の人は年上の人の前では煙草も吸ってはならないらしい。内観という自分の内面を語るとき、通訳者には年下では困るということであった。年長者は年下の人の前では、恥をさらせないという慣習でもあるのだろうか。 Ⅳ、内観の目的 吉本伊信は「内観の目的は“我執”の念をなくし、“おれが、おれが”という“我”を削除するためです」(吉本伊信、内観四十年、第4版1972)という。欧米の心理学に精通している村瀬孝雄はフロイトを援用して「エスあるところに真正な良心をあらしめること」(村瀬孝雄、内観 理論と文化関連性、1996)が内観の目的だと述べている。さて、中国と韓国の専門家は何と言うだろうか、興味深いので、当日のシンポジウムで拝聴したいと思う。
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