内観と掃除
橋本俊之
「集中内観で掃除をしてから自宅でも掃除をするようになった。」
そんな話をよく耳にする。集中内観では、朝の5時に起床してから掃除が行われる。真栄城先生から「トイレの掃除をお願いします。道具はバケツと雑巾です」と丁寧に作法を教わる。眠い目をこすりながら聞いていたが、雑巾の種類が多いことには驚いた。「この部分はこの雑巾で。」「ここはこれで拭いてください。」このようにバケツと雑巾で掃除をする習慣がない。到底、雑巾の使い分けもできるわけがない。しかも、早くしないと最初の面接になってしまう。最初のうちはバタバタやっていたが、集中内観が進むに連れて、キメ細かい掃除が板につきはじめてきた。「ここはこの雑巾じゃない」「ここはこれで拭かなければレッドカードだ」と掃除の職人のように、こだわりを持ちながら掃除をしている自分がいる。とても新鮮で、なんだか楽しい。
「今日は畳に掃除機をかけてください。」
恥ずかしながら、生れてこの方、畳に掃除機をかけたことがない。どうやってやるのか分からないけれども、なんとかなるだろうと、いい加減に掃除機をかけていた。なかなかいい気分だ。ある日の朝、奥さんから「畳は目に沿って掃除機をかけてくださいね」と教えてもらう。「そうだったのか。」ちょっぴり自尊心が傷ついたけれども、気を取り直して、掃除機をかける。「おっと、これはなかなか手応えがあるものだな。」知らなくて恥ずかしい感じもしたが、何か課題がクリアされたみたいで嬉しかった。
掃除は身近なもので、当たり前であると思っていた。でも、一週間続けて、じっくりと掃除をしたのは生れてはじめてだったのかもしれない。とても新鮮で、楽しかったけど、大変だった。自分でやってみて、毎日掃除をしてくれているお母さんは、とても大変だったのだなと、有り難い気持ちになった。
(はしもととしゆき・大和内観研修所)
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シリーズ【内観をめぐるはなし】第59回
心の教育―いかに生きるか
大和内観研修所内 真栄城 輝明
去る3月10日、沖縄内観研究会(長田清会長)は、沖縄県の教育委員長に就任したばかりの中山勲先生を招いて、表題のテーマで対談形式による講演会を開催するというので、わたしは奈良発の始発電車を乗り継いで、関空発の一番機に搭乗した。というのも、いじめによる自殺の問題など、混迷する教育界に対して何を提言するのか、関心があったからである。
さて、会場に着いてみると、受付も開始されていないのにすでに参加者の姿があった。時間にルーズな沖縄では珍しいことだ。聞けば、問い合わせ先の沖縄内観研修所の電話も鳴り放しとのこと、テーマと講師が人を集めたようだ。
対談の相手は、精神科医で現在は心療内科のクリニックを開業している長田清院長だ。ふたりは大学が先輩と後輩というだけでなく、六年前までは職場を同じくしていたこともあって、気心の知れた間柄のようであり、対談ではまず、丁々発止の出だしで会場を沸かせた。
長田 「中山先生を一言で表現するならば、真面目でお堅い哲学者と言いますか、まぁ仙人と言ったほうがよいかも知れません」と座ったままで中山先生を紹介したのに、その中山先生ときたらスッーと立って、聴衆に一礼したあと、
中山 「みなさんこんにちは、今、長田先生は誰かよその人のことを言っているようでして、自分のことには思えませんねぇ。わたしはごくふつうの平凡な精神科医です」と言えば、すかさず、長田先生がこう切り返す。
長田 「ホラ、僕が座って話しているというのに、こういうふうにわざわざ立ち上がって、みなさんに一礼までするところが真面目である何よりの証拠です。以前の病院長が年下の中山先生を“日本のお父さん”と評したときは、どうもいまひとつ合点がいかなかったのですが、その後、付き合ってみて、その通りでした」
なるほど、対談が進むにつれて、われわれ聴衆にもその意味がよく分かってきた。
“日本のお父さん”は読書を好み、内村鑑三や中江藤樹に始まって、カントやゲーテまで引き合いに出して教育論を開陳したが、言い忘れてはまずいということで結論を先に述べた。
中山 「一人ひとりの命はかけがえのない貴重なものです。テーマの“いかに生きるか”に対するわたしの答えは、“自分に与えられた命をいかに使うかだ”ということです」
“日本のお父さん”は律儀なのである。その姿には、この国が弱点としてきた“父性”が見事に体現されていた。長田先生のリードも巧みだった。いつの間にか話を子ども時代に導いて、中山少年の両親まで登場させてしまった。
中山 「父は一人で夜空を眺めながら、小さなものを慈しむ人でした。母は生活のために髪を振り乱しながらも“品正”にこだわった」
両親の影響を受けて成長した中山先生は、教育委員長に就任した抱負を、こう述べた。
中山 「沖縄はスポーツで頑張っていると報告を受けて、本当に素晴らしいことだと思います。しかし、勝った子や優勝した子の下には無数の負けた子、挫折した子がいることも忘れてはいけません。勝ち組を褒めるだけでなく、努力したが負けた子ども達を評価することが大切です。負けて味わう価値もあり、どのような体験でも人生を豊かなものにすることには役に立つということを、大人が教えることによって子どもの人格は成長します」
対談を聴きながらこう考えた。父という存在は、子どもに夢を与え、未来への出立を促すが、母という存在は、現実に根を下ろし、個人の出自を揺るぎないものにしてくれるらしい。
内観と食事
真栄城直子
内観研修所には、老若男女いろいろな方が訪れます。厳しい修行が待っていると思っているようで、ほとんどの方が不安な面持ちで門をくぐって来ます。ところが、初日の夕食のカレーやおでんなどに、「いやぁー、普通の家庭料理なのですね。一汁一菜というか、精進料理のようなものかと思いました」となぜかホッとした様子なのです。
初日の夕食で不安も和らいで内観がスタートします。食事はお腹を満たすだけでなく、心にやすらぎを与えてくれるものなのですね。
最近は朝食をトーストとコーヒーだけ、又はコンビニのおにぎりだけで済ませるという方も少なくありません。そのせいか、ごはんとお味噌汁、それに簡単なおかず一品とお漬物というごくふつうの朝食なのに“最高でした”という声を残して帰られる方がいます。また、主婦の方は上げ膳据え膳に悦び、仕事に就いておられる女性は、内観中食事を楽しみに待っている自分を、“今日の夕ごはん何だろう”と、急いで家路についた幼い頃の自分に重ねたようで、「現在の私は、忙しさにかまけてついお惣菜に頼りがちな日々を送っていましたが、食事は空腹を満たすだけではないのですね。これからは出来るだけ子どもたちに手料理を作ってあげます」と笑顔で話されました。
それと菜食を希望される方もいますが、お肉は勿論、魚、乳製品、卵など動物性ものが一切だめで、おダシも昆布か椎茸のみという方がいました。試食してみると、素材の味だけがするなんとも素朴な味でした。飽食の時代と言われていますが、今ではお寿司も鰻ももう特別な日の食べものではありません。
『食』を通して内観者の方々と接していますと、今の時代“ごちそう”ってなんだろうと考えさせられます。内観が深まり、周りの方への感謝の気持ちが湧き出たとき、食事が美味しく感じられるようです。
お母さんが作った食事を家族で囲み、感謝の心で頂く、それが一番のごちそうなのかも知れませんね。(まえしろなおこ・大和内観研修所)
シリーズ【内観をめぐるはなし】第60回
「文化差」談義
大和内観研修所 真栄城 輝明
どういうわけか、最近、国際学会や国際シンポジウムがアジアを舞台にして頻繁に開催されるようになった。そのことと関係するのかどうか、東洋文化が生んだ心理療法を代表して、日本からは森田療法とともに内観療法が国際学会から招かれる機会が増えてきたようだ。
たとえば、昨年は八月の東京に継いで、九月の北京、10月のソウル、12月の上海で内観療法がシンポジウムに登壇している。
今年は4月の鎌倉のあと、5月の上海ではシンポジウムだけでなく、精神分析や行動療法と並んで、ワークショップの時間まで与えられた。
さて、各セッションはもとより、ティータイムで外国の専門家と懇談しているとどうしてもお互いの文化差が話題になる。
アメリカ 「日本ではいじめられると自殺するといいますが、本当ですか?」
日本 「その通りです。とくに日本では周囲から無視されるとき、ダメージが大きくなります。ところで、アメリカはどうですか?」
アメリカ 「アメリカでは、いじめられると自殺ではなく、銃を持って相手を殺しますね」
コーヒーカップを銃に見立てて、ゼスチャーを交えながらアメリカの精神科医が話していると、初老のドイツ人教授が割り込んできた。
ドイツ 「以前、日独両国のうつ病患者を通して両国間の罪の意識のもちかたについて研究した論文を読んだことがあります。それによるとドイツ人は自分に課せられた義務や責任を果たせないとき、罪の意識を持ちやすいが、日本人は相手の期待に添えないとき、罪の意識が強くなるとありました。そうですか?」
日本 「たしかにそれはありますね。一九六四年に東京オリンピックが開催されましたが、マラソンで第三位になって日本の国立競技場に初めて日の丸を揚げた円谷幸吉選手は、一九六八年のメキシコ大会に出場する予定でしたが、その年、カミソリで頸動脈を切って自殺しました。遺書には、 “父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません”と書かれてあったそうです。日本中の期待が重荷に感じられたのでしょう。ところで、中国人はどうですか?」
どこまでも人間関係を重視する日本人は、今大会のホスト役への気遣いを忘れなかった。
中国 「中国人は日本人とは逆に、相手が自分を理解してくれないと思ったとき、ノイローゼになるケースが多いですね」
中国人の言葉に、胸をなで下ろしている日本人に話題を戻してきたのは、ドイツの教授だ。
ドイツ 「さっきの話は、対人恐怖症が特に日本人に多いことと関係ありそうですね」
日本 「おっしゃる通りだと思います。ご存知のように、対人恐怖症というのは、家族や親戚などごく親しい間柄にある人たちの前では症状(赤面や視線および醜貌恐怖など)は出現しにくいだけでなく、自分とまったく関係のない不特定多数の通行人の前でもほとんど症状は出てきません。症状が一番出やすいのは、学校や職場、通学や通勤の乗り物の中、近所のスーパーマーケット、町内会などなんとなく顔見知りだが個人的にはそれほど親密ではない人たちの前に出て行くときです。他人に自分がどう見られるか、それが気になって症状が出てくるのです」
話の途中にアメリカの精神科医が口を挟んだ。
アメリカ 「内観療法が人間関係に焦点を当てた三つの質問を備えている理由が分かりました。自己の存在を神との垂直軸でみる西欧文化とちがって、人と人のあいだを重視する日本文化から生まれたことは自然なことです」
流石にロゴスの国の人は、論理が明快だった。
中日森田療法と内観療法新進展講習班印象記
王 紅欣(無錫市精神衛生中心・精神科医)
一、講習班の開催
2006年12月4日から8日まで上海精神衛生中心で「中日森田療法と内観療法新進展講習班」が開催された。中国の山東省、福健省、四川省、河南省、青海省、甘粛省、江蘇省、上海市など20の区域から50人の医者たちが参加され、筆者も聴講生の一人として参加させていただいた。
日本大和内観研修所の真栄城輝明先生と奥様、信州大学医学教室助教授、日本内観医学会理事長巽信夫先生、大阪心理相談センター榛木美恵子先生、榛木久実指導員、岡山県立岡山病院医療部長河本泰信先生など、7人の日本人の先生たちは遠路はるばる中国の上海までお越しください、講演をなさって、中国の内観の普及に支援してくださった。それに上海精神衛生中心肖沢萍院長からの応援で、王祖承教授、張海音副教授、唐文忠主任医師など先生たちも研究班で講義を行い、閉幕式まで成功した。
二、講演について
講演は「森田療法の基礎」、「内観療法の理論と実践」、「内観療法と森田療法との類似点と相違点」、「森田療法と内観療法の文化背景」、「日本における内観療法の歴史」、「中国における内観療法の歴史」、「外来森田療法の臨床応用」、「改良森田療法の臨床応用」、「依存症における内観療法の応用」などいろいろな面について行った。以上の講演に対して聴講生の医者たちはいろいろな質問を提出し、充実な研修だった。榛木美恵子先生の講演について、「浮気をした夫は妻の所に戻ったとき、内観をした妻はいったいどのような心理的な変化が起こり夫のことを受け入れたのか?」河本泰信先生の講義の後、「男性として女性になりたい、こういう人に対して内観療法は効くか?」などの質問が出され、先生たちは以下のように答えた。
榛木美恵子先生:内観をした妻は「夫に対して大変迷惑をかけましたなー」「夫からしていただいたことは夫にしてあげたことよりずいぶん多かった」「夫が浮気することを理解できるようになって、戻ってきて嬉しかった」と内観後に考え方が変わった。
河本泰信先生:単なる女性願望の男性に対しては、むしろ内観療法は効果がないと思ったほうがよい。しかし、お父さんの家庭内暴力が幼い心に傷をつけられ、男に嫌になった場合は内観が効くと思う。
今回の研修では、日本と中国の専門家たちは日本と中国の文化背景について、森田療法と内観療法の理論と治療機序について、興味深い講演を行った。時間の問題でより多くの質問ができなかったが、聴講生の医者たちは内観療法にだんだん強い関心を持つようになった。
三、筆者から感じたこと
幸いですが、筆者は鳥取大学で四年間留学し、川原隆造教授の下で内観療法の研究を行っていた。榛木美恵子先生は講演中に筆者のことを在席の皆様に紹介し、日本で内観体験の感想も紹介させてくださった。それのおかげで講演の合間に私は多くの聴講生の医者たちと内観について話し合い、いくつかの質問を受けた:「内観療法の技法は何ですか?」「面接者としていったいどのように指導しますか?」「内観療法の導入についてはどこか注意すべきですか?」「内観による心理的な変化はいったいなんでしょうか?」「内観療法は強迫障害に効きますか?」「内観療法による効果をどうやって評価しますか?」
自分の理解できる限りいろいろな質問について意見を出しましたが、いくつかのことを感じている。1.多くの医者が内観療法に関心を持つようになった。2.内観を体験したことがないため、具体的なやり方が詳しく知りたい。3. 内観中に面接者の役割について詳しく理解したい。
つまり、東方思想に基づく内観療法は中国の医者たちに理解されやすい、効果的な心理療法として、これから中国に普及する必要がある。
【内観後の手紙】
25歳の女性が内観を体験したあと、不仲だった父親に手紙をしたためました。
ご本人の了解を得て、ここに掲載させていただきました。
(娘から父へ)
お父さん、私は、知人に紹介していただき、1週間に渡り、奈良県にある「大和内観研修所」に行ってまいりました。「内観」とは、日本で生まれた心理療法であり、仏教に由来するものと聞いております。「心理療法」というと、鬱病や精神病患者のためのもののように聞こえるかもしれませんが、これは全ての人が心安らかに生きるために創られたものです。その方法としましては、部屋の片隅に座り、畳一枚程の屏風に囲まれ、心を静かにさせ、まず母親に対する自分を調べて行きます。ここで肝心なのは、「母」がどうであったかではなく、「母に対する自分」がどうであったかとういことです。調べるポイントは、以下の3つです:「お世話になったこと」「して返したこと」「ご迷惑をかけたこと」
これを記憶のある時分から年齢順に調べていき、母が終わると父、祖父母、姉妹、兄弟、叔父、叔母、配偶者、その親、子、友人、勤務先の上司や部下…と言った具合にこれまでの人生に関わった人たちについて調べていきます。そして、約1時間半毎に面接者が屏風の前に来て下さり、その時間に調べたことを報告するといった具合です。ご自分のことを知らない人に言うのは恥ずかしいと思われるかもしれませんが、心配なさらないでください。面接者はありのままをそのまま受け入れてくださるので、仏様に向かって話している気分になってくると思います。
こういったことを朝から晩まで1週間続けて行います。屏風の中でこのようなことを行うと聞くと、自分には出来ないのではないか、と思う方もいらっしゃるようですが、それは安心してください。しばらくすると、ここは唯一の人生の休息場であり、地球上で一番安全で、心地よい場所だと気づかれると思います。
さて、私もこのようなことを1週間体験させていただき、両親についてそれぞれ2回、叔母さん(母の姉)、そして神様について内観してまいりました。
昔の記憶から辿ってみますと、いかに私がお父さんお母さんから愛され、大切に育てられてきたか、その一端を思い出すことができたように思います。それに対して私は、お二人に何の感謝の意も示さず、あたかも一人で大きくなったかのような顔をして暮らし、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。これまでご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。こんな娘ですが、お二人から頂いた愛情を無駄にせず、そしてそれに恥じないように生きていこうと決意しています。
この内観を通して思ったのですが、ひとつ私から提案があります。是非お父さんもこの内観を体験してみてはいかがでしょうか。お父さんは毎日一生懸命働いておられ、さらに土曜日まで仕事をしていらっしゃるので、ひとつここで立ち止まり、ご自分の内を観てみてはどうでしょうか。この内観中に、お医者様が内観について語られたテープを聴く機会がありました。そこで仰っていたことは、「多くの人は皆、死ぬ間際になりこれまでのことを思い出し、感謝の気持ちと共に、安らかに死んでゆく。しかし、それでは遅い。死ぬ寸前に気づくのではなく、生きている途中でそれをしなければならない」と。
おそらくこれは、いわゆる「走馬灯のようにこれまでの記憶を思い出す」ということだと思います。内観は、まさにこれを実行する作業です。すると、この世は苦悩ではなく感謝で満ち溢れた天国であると気づくことができるのです。
内観は、カウンセラーがいて考えを誘導してくれるというものではありません。自分で自分の内を観て、実はこの世界は感謝すべきことがこんなにも多い、と「自分で気づく」ことができるのです。自分で気づくことは大変重要なことであります。普段お父さんはご苦労をなさっているので、楽になっていただくために、経験していただきたいと思います。差し出がましいようですが、これを私の親孝行としてお受け取りください。
最後になりましたが、いつも私の就職先や今後について心配をおかけして、申し訳ありません。しかし私は、後悔のない人生を歩むために、常に自分の内なる声をよく聴き、確信を持って一歩ずつ前に進んでおり、その場その場から常に学び、積み重ねの上に今立っています。おそらく他人様から見たら不安定な人生を送っているように見えるかもしれませんが、私は誰よりも安定した人生を歩んでいると自負しております。何故なら、常に自分の声を頼りにし、自分の心の最も清い真我の自分を見て、考え、選択をし、行動に移しているからです。ですので、絶対的に安心と信頼のある人生になると、何よりも自分自身が絶対的に信じています。しかし、その道中でおそらくこれまでのようにお父さんとお母さんに多大な迷惑をかけていくかもしれませんが、暖かく安心して見守っていただければ幸いです。
長々と読んでいただきありがとうございました。お父さんの健康と幸せをお祈り申し上げます。A子より。
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