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愛弟子が語る内観の創始者・吉本伊信師

吉本先生ご夫妻 こぼれ話
             本山 陽一
           (白金台内観研修所)
 
 
 
 吉本先生ご夫妻の思想、お人柄とその生活ぶりは、今でも私にとって人生の支えであり、指針です。かつて、偉人や伝説上の人物について書物で読み、憧れや尊敬、感動等を抱いたことはありましたが、現実に出会ったことはありませんでした。吉本先生ご夫妻は、まさにそれらの書物で描かれていたようなご夫妻でした。私は「現実にこんな人たちが存在するのだ」と驚いたとともに、現実だけに書物とは比較できないほどの影響を受け、人間の可能性について勇気をいただきました。今回、みすずの会の橋本さんからのご依頼を受けて、吉本先生ご夫妻をご紹介できる機会を得たのですが、とてもその人物像全体をお伝えする自信がありません。そこでいくつかのエピソードを記すことで私の役割を果たそうと思います。
 
 〈エピソード1〉
 突然、大声で泣き出した中年の女性が、次の面接で「吉本先生ご夫妻の会話をお聞きしていて、私は今まで何をしていたのだろう、と情けなくなりました」と話し出すのです。「ここで内観をしているとお二人の会話が聞こえてきます。お声だけ聞いていると、お互いが相手のことを思いやっているのが本当によく分かります。私たち夫婦と全然違う。私たちは汚い言葉で相手を傷つけたり、自分の主張ばかりしていて、お互いをいたわってやさしい言葉をかけたことがありませんでした。お二人の仲睦まじいお姿を拝見させていただけただけでもここにきた甲斐がありました」
 私が吉本先生のお手伝いをしていたときの面接体験です。
 
〈エピソード2〉
 いつも奥様は、先生に「何か私に(妻として)こうして欲しいという注文はありませんか」とお訊きになり、その度に先生は「何もありまへんなあ、感謝しています」と応えておられるご夫婦でした。
 夫婦が50年以上も仲良くいられる、いや、むしろその愛情が深まっていっていると思われる背景には、お互いの自分の中に潜む我という悪魔と絶え間なく戦ってこられた結果だと思われます。人間の営みはすべて、そこに参加している人々の努力がなければ崩壊するもので、いい家庭の裏にはお二人の人には見えないところでのご努力があったと考えるのが自然でしょう。
 表面的には奥様の先生に対するサービスが目立ちましたが、お側でお二人の日常生活を垣間見ていると、伊信先生の陰での奥様に対する気配りも相当なものだったと私は推察しています。
 〈エピソード3〉
 午前3時~4時に起床される先生の日課は、まず読経からです。それは居間で先生の母上の声の入ったテープをかけながら、その声に合わせてお経を唱えるといった気楽なもので、なにか呑気な雰囲気さえ漂うものでありました。亡き母親の声とともにお経を読むお姿は、お勤めというよりも小さな子どもが母親と戯れて遊んでいるかのように見えました。4時半頃、奥様が起床されて朝食の支度が始まり、5時5分前頃に放送で内観者さんに起床を促し研修所の一日が始まります。
 全盛期には、30人の内観者さんの面接を一日8回実行する、一回の面接時間が一人3分としても720分12時間、一人5分なら1200分20時間の面接時間になります。それを60代の先生が、長島先生とお二人でこなされ、内観者さんのお食事は奥様がほとんどお一人で作っておられました。夕食の後片づけが終わると、必ずご夫婦で一緒にお風呂に入られ、お休みになられました。それを年中無休で続けておられました。そんな生活を先生は「まるで遊び暮らしや」とおっしゃっていました。
〈エピソード4〉
 ある朝5時半頃、先生が面接のため階段を昇られているときに朝日が差し込んで来たことがありました。すると、先生は立ち止まり、朝日に向かい合掌されました。一分ほど合掌されると何事もなかったかのように、また面接に向かわれました。一階でふとその光景を目にした私は、その自然の動きと美しさに一人で感動に浸っていました。
 また、8月15日の終戦記念日の昼食のときに、テレビから年配の方が次々とお参りしている映像が流れてきました。その映像が流れると、先生は食事中の手を止め、テレビに映っている年配者の方々と一緒に合掌されるのです。テレビのシーンが次の映像に変わると、またいつものように食事を続けられました。
 このような暮らしに自然と溶け込んだ合掌や感謝が、超人的なスケジュールにあっても生活のゆとりを生み、研修所の穏やかでのどかな雰囲気を醸し出していたのだと思います。
 〈エピソード5〉
 先生の生活は本当に裏表のない生活でした。無理すれば45人も座れるほどの大きな家は、そのほとんどが内観者さんのために開放され、先生ご夫妻のプライベートな空間は、寝室として使われていた3畳ほどの小さな和室だけでした。一年中内観者さんの眼にさらされるプライバシーのない生活だったのです。
 その莫大な資産管理のためか、事業引退後も株をやっておられ、しかも相当な腕らしく「不思議なことにわたしが買った株は、全部値上がりするんですよ」と言われて楽しんでおられました。したがって、内観研修所に届く郵便物の中には、株や預貯金等、金銭に関するものも数多くありました。ところが先生は、お手伝いに伺ってまだ日の浅い私に「ここに来る郵便物はすべて見ていいですから」と言われるのです。一緒に働く人間を全面的に信用される先生の懐の大きさと、秘密を持たない生活ぶりに私は圧倒されました。
 〈エピソード6〉
 ある時、ちょっと恐い関係の方が内観に来られたことがありました。内観がなかなか進まず、何度面接に伺っても3つのテーマが答えられませんでした。まだ若くて生意気ざかりの私は、何も答えないその方にしびれをきらして「していただいたことにどんなことがありましたか?」と答えを催促しました。すると突然「分かってんだよ!」と家中響き渡るような大声で怒鳴られました。私は内心「しまった!」と思ってあわてて土下座して謝りました。その方は、機嫌を直して内観を続けてくださいましたが、あの怒鳴り声は階下の先生の耳にも届いたはずです。
 私は「自分の面接で内観者さんを怒らせたことを先生は何と思われるだろうか、常々『内観者さんは菩薩様だ。人間ほど自分勝手な動物が内観をするのはよくよくの縁だから、大切にするように』と教えを受けていたのにどうしよう」と思いながら一階に戻り、ヒヤヒヤしながら居間に入って行きました。すると、先生はおっとりした声で「ええ修行させてもらってまんなあ」と一言おっしゃっただけでした。私はその一言に本当に救われた気がしました。今から考えると、たぶん悄然として居間に入って行く私の様子を見た先生の慰めの言葉であったのだろうと思われます。先生には厳しさの中にこういうやさしさも常に備えておられました。
 〈エピソード7〉
 元来、粗忽な私は数々の失敗もありました。それを蔭で支えてくださっていたのがいつも奥様でした。お風呂を沸かしていたのを忘れていて慌てて風呂場に飛び込んでいくと、いつの間にかガスのスイッチは切られ、内観者さんのお風呂の用意までできていたことも度々でした。そのことについて注意されたことは一度もありません。ただ、黙って私の不始末をカバーしてくださいました。そんな奥様に面と向かってアドバイスされたことが一度だけありました。
 それは、今から23年前、私が初めて内観研修所を開設するときです。「研修所を開設するといろいろなことがあると思いますが、私は本山さんが大変なときは心配していません。むしろ、順調に行き始めたときが心配です。いいときほど危ないですよ。油断しないで下さい」この言葉と「無理はいけませんよ。無理をしないように」という言葉は、今でも白金台内観研修所の運営方針の大きな柱になっています。
 〈エピソード8〉
 先生はいつも謝ってばかりおられました。内観者さんにアドバイスした後は「生意気言ってすんません」、オリエンテーションでお風呂や洗面台の水を出しっぱなしにしないように注意された後では「ケチ言ってすんません」、参考に自分の体験談を話された後でも「自慢話みたいなことを言ってすんません」といったふうです。
 ある日、電話に出られた先生が「はい、内観研修所ですが、はい、吉本は私ですが、はっ、申し訳ありません」と謝っておられました。受話器を置くと「吉本というのはお前か、内観で金儲けをしているのは!」と叱られたとおっしゃり「仏さんに代わって、注意してくださってんやなあ」と相手の言葉を真摯に受け止めておられました。また、窓を開けて内観研修をする夏に、内観中に流れるテープの音がうるさい、との匿名の苦情電話があったときも、一切の不平を口にせず、菓子折を持っておぼつかない足取りで、ご近所を一軒一軒謝って歩いておられるお姿も思い出されます。
 〈エピソード9〉
 先生は合理主義者でもありました。いつも「今晩死ぬかもしれへんから」と本の注文やいろいろな頼まれごとも、すぐに対応されました。仕事を翌日に持ち込むことがなく、まさに一日一生の生活でした。そのことが、最も効率的で精神的にも負担がないやり方だ、と実際に実行してみて愚鈍な私にもわかりました。
 資料請求の電話があったりすると、先生は相手の住所と名前を聞きながら封筒に表書きをしておられました。電話を切ったときには、すでに宛名書きが終わっていて、私は思わずうなってしまいました。先生の生活はすべてがこのようで「頭は生きているうちに使え」と奥様はよく叱られたそうです。
 〈おわりに〉
 最後に意識がなくなるまで、生活の基本は変わりませんでした。お身体や能力がどんなに衰えても、先生の人格、性格は少しも変わることなく、感情を乱し八つ当たりしたり、我が儘をおっしゃったりすることは一度もありませんでした。最後まで奥様以外の人に頼みごとはなさらず、奥様が傍にいないときは、おぼつかない足取りでご自分で用事をしようとなさいました。私たちが気を利かせて先にして差し上げると、合掌して「ありがとうございます」と必ずお礼を言われていました。 
 相手が弟子であろうと誰であろうと関係なくお礼を言われていました。奥様に対してでさえ、身の回りの世話をしてもらうと「すまんなぁ」と本当にすまなそうに感謝の意を表しておられました。そんな先生の内面が、最期の場面を美しいものにしていたと今も思います。最後の口癖は「すんません」「ありがとうございます」「おまかせします」でした。最晩年は、柔らかい面も感じられ赤子のような笑顔もよく見られましたが、厳しさも失わず、研修所には穏やかではあるが、厳粛な雰囲気がみなぎっていました。奥様と私がちょっと雑談をしていると「その話は内観とどういう関係がありますか」とやんわり口調でたしなめられました。先生の頭の中は、最後の一瞬まで内観のことだけを考えておられたご様子で、本当に内観一筋の生活でした。

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