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No.20
「自力」と「他力」の問答
大和内観研修所 真栄城 輝明
「内観は真宗のお寺(内観寺)で行われていると友人が言うのですが、本当ですか?」
真宗の信徒で隠居の身だという男が、突然に電話をかけてきて、そう訊いてきたのである。
茶飲み話にでも内観の話が出たのであろう。「友人も私も内観の体験はないのですが、一週間という期間、屏風の中に籠(こも)って禅の修行のようなことをする、と聞いたものですから・・」と、電話の理由をあれこれ並べて見せたが、男の話を掻(か)い摘(つま)んで紹介すればこうである。
「修行の仏教とされる道元の自力仏教に対して、親鸞の浄土真宗は他力仏教であり、屏風に籠(こも)って修行の真似事をするのは解せない。本当に、内観は真宗から生まれたのか?」と。
男は、仏教の知識が豊富のようであった。知人の紹介する内観の本にも目を通したらしい。
「内観がやっていることはまるで自力修行のようだし、真宗の他力思想からみると腑に落ちないので電話をしました」というのである。
しかし、私の仏教の知識ときたらほとんどゼロに近く、男が納得するような問答は出来なかった。私は自分の不明を恥じた。そこで、まず「自力と他力」の相違を知ることから始めた。その類の本を手当たり次第に求めた。「法華経を生きる」の著者・石原慎太郎と「他力」の著者・五木寛之の対談は両者の比較に好適であった。
たとえば、石原は自力の例に宮本武蔵が吉岡一門と一乗寺の決闘へ出掛ける場面を挙げた。武蔵が不安になって、通りかかった神社で神の加護を祈ろうとして、はっと我に返り、「神仏を頼っては負けたも同然だ」と、祈らずに決闘へ向かった。その時を石原は、武蔵が「他力」に頼らず「自力」に徹したのだと考える。
ところが、「他力」という言葉を「あなた任せ」「人任せ」の意味で解する人がいるが、それは本来の「他力」とは違う、と五木は説く。親鸞が「本願(・・)他力(・・)」と表現したように、「他力というのは、自力を奮い起こさせるもの」(鈴木大拙)であって、目に見えない大きな力、人智を超えた大きな光が自分を照らしてくれることを言うそうだ。なるほど、これはユング心理学の共時性に酷似するものとして読めた。五木によれば、「神や仏に助けを求めるような弱い心ではだめだ、と武蔵は思った。全力を振り絞って、自分の力だけで闘わなければ、と決意した。じつは、その『決意』こそが、見えざる『他力』の光が彼の心を照らした」事になるようだ。
そして、「他力は自力の母だ」と言うのである。
もし、再び男から電話があれば、内観が「他力」を知るための方法であることを話せそうだ。その時に、内観のエッセンスを伝えるために次の「海で漂流した船乗り」の物語も紹介しよう。
「航海中に,一人の船員が誤って海に落ちてしまった。誰もそのことに気づかず,船はそのまま航行した。水は冷たく,波は荒く,真っ暗闇。大海の中で,男は死に物狂いで、島に向かって泳ごうとするが,方向が正しいかどうか確信が持てなかった。船乗りなので泳ぎは上手いが,腕も足も疲れ果て,喘(あえ)いでいた。大海の中で迷い孤独になった男は,もうこれでおしまいかと思った。体が海の底に引きずり込まれそうになった時、海の深淵から声が聞こえてきた。『力を抜け。力むのを止めろ。そのままでいいのだ』その声を聞いた船乗りは,自分の力だけでむやみに泳ぐことを止めた。すると,力まなくても海が自分を支え浮かせてくれることを知った。船乗りは心から感謝した。そして、本当ははじめからずっと大丈夫だったことに気づいた。それを知らなかっただけなのだ。海は変わっていないのに彼の考え方が変わったので,彼と海との関係が変わったのである」(真宗入門)。
(『やすら樹92号』シリーズ【内観をめぐるはなし】第49回より転載しました)
No.19
少年の祈り
大和内観研修所 真栄城 輝明
1月23日の新聞に名護市長選の結果が報じられた。沖縄では米軍普天間飛行場移設問題が大きな争点になっているが、どこへ移そうと問題は解決しない、と教わったことがある。
それは、小学校低学年の頃のことだ。
「オイ、昨日のミサイル、すごかったぞ!」
大柄の優太は、教室の一番後ろの席で、人一倍大きな声で興奮気味に昨日見たミサイルの話しを始めた。いつものことだが、優太のまわりにクラスの男の子たちが集まってきた。
「ぼくもみたぞ、カッコよかったなぁ」
優太に同調して哲雄が言った。子どもたちの住む村には丘に囲まれた平野が広がっていたが、丘のほとんどは米軍基地として使われていた。平和な村の男の子たちは、時々姿を見せるミサイルに逞しい男性像を投影していたのであろう、勢い話しは肥大し、止まるところがなかった。
「ぼくのおとうさんは、司令官と友達なので、今度の休みには、ミサイルに乗せてもらうんだ」
村長の息子が調子に乗ってホラを吹いた。
「すごいなぁ、いいなぁ」
ぼくは口には出さなかったけど、村長の息子がうらやましくて、心の中で嫉妬した。
優太のように堂々と「ぼくも乗せてくれよ」とは言えなかったのである。ぼくは転校してきたばかりで、まだ友達がいなかったからだ。
ミサイルというのは、小学校のすぐ上の丘にある米軍基地にときどき姿を見せる弾頭を装着した誘導弾のことである。その姿形は愛知県小牧市の田懸神社に奉納されている男根よりもはるかに立派である。それを知る由もなかったが、男の子たちには憧れの的であった。
沖縄の人口は、平成9年に120万を数えているが、県下五三市町村のうち25市町村にわたって39施設に米軍基地(24,286ha)が所在し、県土面積の10.7%を占めている。つまり、沖縄に日本の4分の3の米軍基地があって、実に、全国の74.8%の米軍基地が沖縄に集中していることになる。よくマスコミは、「沖縄には基地がある」という表現をするが、沖縄に生まれ育った身にはそれはちょっとちがうなぁ、と思ってしまう。実感を言うならば、「沖縄に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」というのがぴったりなのである。
さて、男の子たちの話しは、現実と空想が入り混じって次第にエスカレートするばかりだ。
そこに、始業のベルが鳴った。どうやら担任の美佐先生は、子どもたちの会話の一部始終を聞いていたらしく、今まで見せたことのない悲愴な面持ちで、こう話し始めたのである。
「さっき、男の子たちがミサイルに乗りたい、という話しをしていましたが、みなさん、ミサイルがどういうものか知ってるんですか?」
美佐先生は一人ひとりに諭すように話した。優太も哲雄も村長の息子までもさっきの元気はどこへ行ったのか、みな黙って聞いている。
美佐先生の表情には気迫がこもっていた。
「ミサイルには、原子爆弾が積まれていて、もし、あのミサイルが飛び立つことがあれば、この沖縄は、吹っ飛んでしまうのですよ。沖縄だけでなく、日本が、いや、世界がなくなるかもしれないのよ!」
教室中が静まり返った。ぼくは村長の息子をうらやましいと思ったことを恥じた。戦争の恐怖が襲ってきた。翌日、米軍基地にミサイルがそびえた。ぼくは人目を避け、手を合わせた。
「どうか、ミサイルさん、飛ばないでください!戦争にだけは行かないでください」
ミサイルが姿を現すたびに必死に祈った。祈るしかなかった。今、面接者として合掌するたびに、少年の頃の祈りを思い出す。
(『やすら樹96号』のシリーズ【内観をめぐるはなし】第53回より転載しました)
NO.18
シリーズ【内観をめぐるはなし】第44回
内観と共時性
大和内観研修所 真栄城 輝明
「共時性」という言葉をご存知だろうか。心理療法の世界では、西洋(スイス)の分析心理学者、C・G・ユング(1875〜1961)によって名付けられて以来、俄(にわか)に注目されるようになった現象であるが、東洋(日本)では昔からごく日常的な出来事として人々の暮らしに出現してきた。たとえば、「噂をすれば影」「虫の知らせ」「以心伝心」「風の便り」「魂よく千里を行く」など、共時現象をあらわす言葉を挙げればキリがないほどである。
ところが、西洋に起こった科学技術の発展に伴い、東洋のこの国においても科学的な因果律によって説明できない現象は、知識人から軽視,乃至(ないし)は無視されるようになった。
なんと知識人の中には、一度もそれに気づいたことがないという人さえいる。私がそれを強く感じるようになったのは、カウンセリングや内観面接に従事するようになってからである。 しかし、その出来事を不用意に公言することは憚(はばか)られた。特に学会など客観的で科学的志向性の強い場においては控えてきた。けれども、今年の日本内観学会大会の場で初めて表題のテーマを発表してみた。というのも、これまでの内観面接をちょっと振り返るだけでも、実に多くの共時現象が思い出されるし、この学会でなら、現実の目に見える外の世界と目には見えないが、個人的な経験として実感される内的な世界はつながっている、とする共時性について話題に出来そうだと思ったからである。 実際、発表後に幾人かの方から「実は、私も同じ経験をしています」という声が寄せられた。
また、それだけでなく、体調を崩して学会に出席できなかったという会員は、学会の直後に電話を掛けてきて、「テーマに興味を引かれました。大会抄録集には、結果と考察は当日述べる、とありましたがどんな内容でしたか?」と電話口で質疑応答を求めてきたのである。改めて、このテーマの反響に驚かされることになった。
ところで、それと似た現象として「同時的(シンクロナス)」というのがあるが、両者は似て非なるものだ。オリンピックの場で日本女性のスイマーたちが活躍しているシンクロナイズドスイミングというのがある。水面の上下で同時的に繰り広げられる演技を競っているようであるが、そこでは「共時性(シンクロニシテイ)」が問われることはないだろう。日系米国人のユング派の精神科医、ジーン・シノダ・ボーレンは、「タオ心理学」(春秋社)の中で、「同時的な出来事というのは、単に同時に起こる出来事、同じ瞬間に起こる出来事のことです。」と述べ、その例として、人々が同じ時刻に同じコンサートホールに入ってゆく場面を挙げているが、共時現象については、神戸大会で発表した自験例を紹介しよう。 神戸の女性が今年の4月4日から一週間、内観にきた。内観後の翌日、まだ内観のリズムが残っていて、珍しく早くに目が覚めた。それで、早朝の散歩に出たら、小さな教会の扉が開いていたので、中に入ってみた。すると、「今年のイースター礼拝のメッセージは“誰を捜しているか”です。4月4日からの“主イエス・キリストの受難週をむかえ、4月11日に復活祭となりますので、ぜひ礼拝に」というチラシが目に入った。それを読んでハッとした。「ちょうど私の内観も4月4日からの一週間でした。私にとっては苦しい受難週でしたが、再生というか、復活するような、まさに誰かを自分の中に捜すような一週間でした。内観との不思議な縁を感じる出来事でした」と喜びに溢れた手紙が届いた。幼児期から虐待を受け、親を恨み、魂の死人と化していた女性が内観によって復活した出来事が見事に共時(シンクロ)していた。
NO.17
シリーズ【内観をめぐるはなし】第43回
いない いない ばあ
大和内観研修所 真栄城 輝明
「いない いない ばあ
にゃあにゃが ほらほら
いない いない・・・・」と黒猫が両手で顔を隠して登場する松谷みよ子の赤ちゃんの絵本をご存知だろうか、表題がそれである。日曜日の朝、早起きの子どもがパパのお膝で読んでもらうならこれ以上の絵本はない。日曜日の朝は、読み聞かせるパパもパジャマでリラックスしているので、子どもは嬉しい。
この絵本はママではなく、パパにピッタリの絵本なのだ。何となれば、ママは一日中いつでも側にいてくれるが、パパは普段、子どもが起きる前にお仕事に出て夜も遅く、いつだって家に「いない いない」の状態なので、日曜日の朝に「ばあ」と姿を現してくれただけで、子どもにすれば嬉しくて、繰り返しパパの読み聞かせをおねだりしたくなるのも無理はない。
何しろ、この絵本に登場するのは、黒猫と熊とネズミと狐の4匹だけなので、ちょっと頁をめくるとすぐに最終頁に至ってしまうから。 そして、子どもたちは何度聞いても飽きるどころか、ますます小さな瞳を輝かせ、興奮のあまり奇声まで発するのである。何とも不思議なこの絵本は内観面接の場面を連想させる。
内観を体験した人なら分かることだが、内観では面接者が繰り返し屏風(法座)を訪れる。そして、屏風を開けて「只今の時間、いつの頃の誰に対するご自分を調べていただきましたか?」と問いかけ、内観者の報告が済むと屏風を閉めて去っていく。およそ1日に8回前後それが繰り返される。このような面接風景を精神科医の成田善弘氏は「いない いない ばあ」のようだと指摘した。確か、1990年、日本内観学会が第13回目の大会を名古屋で開催したときの招待講演での話だ。成田氏には内観の体験や内観面接の経験がないにもかかわらず、ユニークで新鮮な指摘が印象に残った。
なるほど、内観面接の様子を観察していると「いない いない ばあ」を繰り返しているように見える。しかし、それは果たして外に見える「内観の型」だけのことだろうか。面接者として、「内観の内容」に接していると、内観者が報告する内容にこそ「いない いない ばあ」が繰り広げられているように思われる。
たとえば、統合失調症の母親を持つ青年が内観へきたときのことである。「入退院の繰り返しで母は殆ど家にいなかった。だから、お世話になったことはなかった」と自嘲気味に話していたのだが、ふた廻り目になって、「幻聴に悩まされながら、ブツブツと独り言を呟きながら台所に立って僕の弁当を作ってくれていました」と報告して後、泣き崩れてしまった。
また、84歳の老女は生活力のない夫の暴力から逃げるように離婚。女手ひとつで子どもたちは育て上げた。離婚から50年目に内観研修所を訪れた。“優しさがない”“愛情もない”“生活費も入れなかった”とないないづくしの夫に対する内観は、困難を極めた。ところが、新婚時代を振り返ったとき、夫に背を向けている自分の姿が浮かんだ。「いない いない」を続けてきたのは夫ではなく自分自身だったのである。娘の計らいで他界する前に再会を果たしたが、それは心から望んだものでなく、義理だけの看護であった。せめてその前に内観していれば、と悔やんだが後の祭りである。そんな心境を座談会の席で短歌にこめて披露してくれた。
亡き夫(つま)の 生地(せいち)に立ちて 今日(いま)目覚め
50年の月日 いかに詫びなん
「憎いだけで、夫の優しさが内観するまで気づかなかった。あの世でやり直したい」という心境はまさに「いない いない ばあ」である。
NO.14
中国から韓国、そして大和へ
大和内観研修所 真栄城 輝明
まるで演歌のタイトルのようであるが、表題のフレーズには、少しばかりの説明が要る。
昨年の2003年10月10日から13日まで、第1回国際内観療法学会(川原隆造会長)が鳥取で開催された際に、中国と韓国のゲストを迎えて晩餐会があった。その宴席で司会を務めることになった筆者は、皮切りの言葉に頭を痛めた。両国のゲストに配慮しつつ、しかも内観療法学会にふさわしい言葉を探そうと思ったからである。
そこで、会場へ向かうバスの中で考えようと思っていたのだが、話しかける人がいてそれどころではなかった。
そして、ついにバスは会場に到着してしまったというのに始めの言葉が見つからない。会場となったホテルのロビーで思案のさなかに背中を叩かれて振り向いたところ韓国からのゲストが筆者に挨拶してきた。
「カムサ ハムニ ダ」(ありがとう)。
晩餐会の招待状へのお礼であった。
「カムサ」は「感謝」の韓国訛りである。
今は韓国語になっているが、元々は中国語の漢字を輸入した言葉なのだ、と傍らの中国からのゲストに気を遣ってのことだと思うが、韓国のゲストがそう解説するのを聞きながら、棚から牡丹餅とはこのことだと思いつつ、その言葉をありがたく頂戴して、皮切りの挨拶にこう述べた。
「内観のキーワードの一つに『感謝』という言葉があります。それは、元々は中国語のようですが、韓国に輸入されて
『カムサ ハムニ ダ』という韓国の大切な日常語になりました。そして、その言葉は大和(唐時代の日本の異称)へきて、内観のキーワードになりました。中韓両国の皆様に感謝を込めてありがとう」と。
ところで、大和と言えば奈良の別称でもある。
そして、奈良という言葉はどうやら元々は韓国語で「国」という意味であり、かつて韓国からの帰化人が奈良に居を構えたとき、自国を思ってそう名付けたのだ、とその韓国のゲストは酒が入ってますます饒舌になった。
さて、宴たけなわというのに、おそらく学会中の宴会ということもあってか、ゲストの話題は、突然、学会調になった。
そして、「内観が目指す人間像はあるのですか?」などと訊いてくる。
まさにシンポジウム(饗宴)であった。
それには拙著「こころの不思議」(朱鷺書房)で述べたように「中国の達磨大師をかたどった『だるまさん』がそれです」と応えた。「たとえ人生の荒波に幾度となく倒れて転んでも起きあがることが大切」と説明し、納得して貰った。
その達磨からの連想が発展し、以前に読んだ「人麻呂の暗号」(新潮社)の中から筆者の興味を引いた内容を紹介した。
「だるまさんがころんだ」という遊びがある。
子どもの頃よく遊んだが、遊びの内容とかけ声がどうもしっくり来ないと感じていた。
ところが、その本を読んで目から鱗が落ちた。
中国禅宗の始祖、菩提達磨は面癖九年、壁に向かって九年間座し、悟った。座り放しの人が転ぶというのは変だ、と思っていたら、「コロオンダ」というのは韓国語では「歩いている」という意味だというではないか。
神妙に座禅を組んでいるはずの達磨が、急に歩き出したとしたらどうだろうか。誰だって驚かずにはいられない。それを見た人もびっくりであるが、見られた達磨の方だって驚いたに違いない。この遊びもまた韓国から大和に伝わってきたものだ、と著者の藤村由加氏は言う。
そこで話しは飛躍するが、内観のルーツもまた中国や韓国に違いないと思ってしまった。
そうやって考えると、今後、内観は親元の彼の国で相当に発展しそうな気がする。大いに楽しみである。何しろ、2005年には中国の上海で、そして、その翌年には、韓国のソウルで国際内観療法学会の開催が予定されているからである。
(本文は、やすら樹83号・シリーズ【内観をめぐるはなし】第40回より転載。)
NO.13
思春期の「こころ」
大和内観研修所 真栄城 輝明
創立百周年を迎える中学校で「地域懇談会」が開かれた。
毎年、夏休みを前に教師がチームを組んで地域へ出向き、保護者との交流を深めようという趣旨で始まった懇談会であったが、いつの頃からか、まるで思春期のこころが親たちに乗り移ったかのように、学校に対する不平、不満、苦情をぶつける会になってしまった。
「ほんとうは校長も廃止にしたいのですが、保護者が承知してくれないのです。」
会場となった公民館へ向かう車中で、今回、スクールカウンセラー(S・C)の同席を熱心に要請してきた教頭が胸の内を証した。そこで、伝統校が部外者で新参のS・Cを出席させたのは、教師とは違う視点に期待したからだ、という。
その懇談会は、保護者の代表が司会を務め、校長の挨拶で始まった。
そして、生徒指導部長から子どもたちの学校での様子や最近の出来事などが報告されて後、十人前後の小グループに分かれた。
その際に、各グループにはベテラン教師が配されて、保護者の質問に答えた。
「うちの子が中学に入った途端、親に口をきかなくなった」というような悩みはまだよい。
「他のクラスは席替えをよくやるのにうちのクラスがないのはどうして?」のような、本来クラス懇談会で問うべき発言が出ても、教師は驚かず、受け答えに窮することはまずない。あるいは、「野球部の朝練が近々なくなると聞いたのですが、本当ですか?」などという質問を部活の顧問ではない教師が受けたとしても、ちゃんと応えてしまうのは、職員会議のお陰である。学年別会議の他に各部会のそれがあり、さらには、全体の職員会議が教師間の連絡を密にしているからである。
ところが、職員会議で得た情報や資料で答えられるような質問だけならよいが、小グループの場で即答できない難問・奇問が出てくることがあって、それについては休憩を挟んで全体の懇談会に持ち越すことにしてある。束の間ではあるが、休憩は教師にとって必要であった。
というのは、休憩時間は全体会に備えての打ち合わせの時間になっていたからである。
グループ懇談の際に、S・Cは校長や教頭らと共に、各グループを巡回するように言われ、全体会では、応答者の席に着いていなければならない。質疑に備えてのことである。
「どうして今どき茶髪やルーズソックスがいけないんですか?」と質問したのは、自らも茶髪で厚化粧の母親であった。それには生徒指導部長が校則を持ち出して、その手の質問には慣れているらしく、そつなく答えて一件落着かに見えたが、「身だしなみは大切です」と話した言葉尻を掴まれ、別の母親から反撃がきた。
「生徒の身だしなみを言うなら、先生はどうなんですか?息子が女先生のスカートが短すぎて、気が散って勉強できない、と言っています。教頭先生、注意してください」ときた。そこへ茶髪の母親が間髪容れずに「そうだ!」と声を張り上げて、会場がざわついた。この時世に、たとえ上司であっても、部下のスカートの長短に口を出せば、セクハラである。
困惑している教頭に代わってS・Cが話しを引き取った。
そして、開口一番「お母さん、おめでとうございます!」と大袈裟に笑顔を作った。
相手はまるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「思春期は性に目覚める時期。女の子に初潮が来るように、息子さんにもそれが来たようですよ。女先生のスカートだけでなく、街を歩く女性のスカートが気になって仕方がないはずです。」とはなしを思春期のこころ、とりわけ性の問題にフォーカスして答えたところ、鳩だけでなく、教頭の顔にも安堵の笑みがこぼれた。
(本文は、やすら樹82号・シリーズ【内観をめぐるはなし】第39回より転載しました。)
NO.5
少 年 の 涙
「こいつがオレを階段から突き落とそうとしたからだ!」と大きな叫び声が長い廊下を伝わって職員室まで響いた。淋太は、学校でも名うてのワルで、この4月に3年生になったが2年生の夏休みを境に髪を染め、夜間に徘徊するようになった。午前中はギリギリまで寝ているらしく、いつも給食だけが目当てで登校しており、授業には一切出てこない。
淋太が「こいつ」呼ばわりして胸ぐらをつかんでいるのは、今年から教師になった虫下先生である。この頃の中学校では生徒が教師に殴りかかる光景は、珍しくない。その時は、しかし、通りがかった別の体育教師がふたりで、淋太を背後から取り押さえたので事なきを得たが、それでは彼の気持ちが収まらなかった。淋太は大声でわめきちらし、階段の踊り場まできてなお必死の抵抗を体中で表現して見せた。
*
淋太が教室に入らないのは、身なりが校則に違反しているからである。「髪を黒く染め直し、ピアスをはずさない限り、教室に入ってはいけない」と担任や生徒指導の先生に注意された時、「そんなら入らんわ!」と突っ張った翌日から問題行動がエスカレートしていった。
「今日も、後輩を呼びつけて恐喝したようです」「トイレにタバコの吸い殻が増えました」「シンナーもやっているらしい」。学年会議ではらちがあかず、職員会議に持ち越された。そして、苦肉の策として「淋太係」を置くことになった。男性教師には、空き時間に淋太の見張り役が割り当てられた。授業中、教室の外を徘徊する彼に付いて廻り、見張っていることが任務である。その日の4時限目は、虫下先生が担当になっていた。階段を下りる淋太の後ろに付いて歩いていたら、いきなり振り返って胸ぐらを掴んで冒頭のような怒声を浴びせてきたのである。
*
文部科学省は平成十三年度からスクールカウンセラー(SC)の制度化を決定。いずれは全国の中学校へ配置する計画らしい。淋太のように教師不信に陥った生徒には、成績評価に関わらないSCのような存在は貴重である。
どこにも行き場がなくなった時、淋太は決まってカウンセリング室にやってきた。彼はその部屋の絨毯(じゅうたん)の肌触りが気に入っていた。横になってほお杖をつきながら話してもとがめるどころか、真剣に自分の話に耳を傾けてくれるSCの励子先生だけには気を許し、何でも話した。
「オレ、学校好きだよ。でも授業は分からんし嫌いだ。遅れてきた時、ナポレオン(担任のあだ名)に見つかると怒鳴られるけど、アイツだけだよオレの名前を呼んでくれるのは。」
「他の先生方は?」と怪訝(けげん)な声は励子先生。
「呼ばんよ、みんなオレを敬遠してるんだ。さっきの新米(虫下先生)が廊下の向こうから歩いてきたのを見て、そのままくれば職員室の前で会いそうだった。オレ、挨拶しようと思っていたら、途中でくるっと背中を向けて逃げたんだぞ。」
淋太は、その時の行動をゼスチャー入りで再現してみせた。
「そう、そうだったの、肩透かしを食らったってわけね」
「うん、まあそういうことかな」
励子先生には、両親離婚の生い立ちを背負う少年の傷付いた寂しさが痛い程分かった。
「虫下先生はあなたのこと突き落としてないと言った。私も直接きいてみたけど嘘をついているようには思えなかったわ」と言った後に、「でも、あなたの気持ちも分かるわ、多分、虫下先生がくるっと背中を向けた時、無視されたと思って、まるで階段から突き落とされたように感じたんだよね」 励子先生は、その時、少年の眼に光って落ちるものを見逃さなかった。
(本文は、S中学校のカウンセリングだよりに掲載された一文の抜粋ですが、ある事例をヒントに創作されたものです。文責は、真栄城輝明にあります。)
NO.3
「こころ」の絆
将来を悩むわたしにプレゼント
「どこさも行ぐな」祖母の一言
遠藤美智(高校三年)
周知のように、内観には家族関係を重視する思想がある。たとえば、現在抱えている問題は、自分自身と親との関係を見つめなおすことによって解決される、という思想である。
前掲の短歌は、東洋大学が全国の中学生から大学生を対象に募集した短歌の一部であり、天声人語に紹介されているのを抜き出してみた。
就職か進学かは定かでないが、人生の岐路にきて、家を出ようか、あるいはそのまま家に居ようか、と迷っている高校生の孫に対して、「どこさも行ぐな」と祖母が放った一言で、迷いが吹っ切れたというのである。
ひとは自立しようとする時、誰しも不安に襲われる。そんな時、自分を見守る家族の愛を再確認したくなる。 そうすることで不安を乗り越えることができるからである。家族の愛を確認する言葉としてお国訛りがあるが、不和が頂点に達していた家族が家族療法を繰り返しているうちに、お国訛りが飛び交うようになる。
親子や夫婦の関係に変化が訪れた証拠である。
お国訛りと内観
前掲の歌のポイントは、「どこさも行ぐな」という祖母の東北訛にある。つまり、標準語ではない日常のお国訛りを使ったことで、祖母と孫の情感が読み手にまで伝わってくるからである。
「どこさも行ぐな」と言われて少女は、ほっとしただけでなく嬉しかった。
なぜならば、それは私の故郷である沖縄の方言にして言えば、「かなさんどー」ということであり、それを翻訳調に標準語にすれば、「誰が何と言ってもあなたは我が家の愛しい子だ」ということになるからである。
すなわち、その家族語は祖母から孫への愛のメッセージだったのである。
内観の特徴は、愛の発見だと言われている。
そう言えば、内観面接に携わっていると、内観が深まれば深まるほど、内観者の言葉に変化がみられるように思う。
標準語が知らぬ間にお国訛りに変化してしまうのは、内観者にとって自分の内面をうまく伝えようとすれば、それは自然なことであろう。
このように、 お国訛りにはひとの「こころ」を癒すはたらきがある。
(本文は、「やすら樹53号」と「弘前・内観めぐみの集い」に寄せた原稿に加筆と修正を施したものである。)